「敵は2分でできるけど、味方をつくるのは3カ月」――林真理子が挑む、組織改革と人生の後半戦
「敵は2分でできるけど、味方をつくるのは3カ月」
大学以外に目を向けると、日本企業の管理職に占める女性の割合は平均9.4%(2022年・帝国データバンク調べ)。 「コンプラ重視のこの時代でも、やっぱり女性に何か言われるのが嫌な男性って一定数いるし、女性管理職はなにかと反発されがちですよね。働きづらさを感じている方は多いと思いますよ。ただ、『男の人が悪い』と言ったらそれまででね。“ムッとする男性”のせいにしてしまったら、それ以上の発展は望めません。男性と良好なパートナーシップを築く視点は、組織改革の上でも重要。正直、手間はかかるし大変だけど、ここは結果を出して尊敬されていくしかない、人間的な魅力で丸め込んでいくしかないんです」 「そうなると大切なのは、やっぱり日々の対話だよね。対話のなかで、この人やっぱりできるって、思わせなきゃいけない。女性管理職ほど、対話が大切だと思います」 「敵は2分でできるけど、味方をつくるのは3カ月かかる」が信条だ。会議では絶対に誰かを名指しで批判しないし、自分に反対意見をぶつけてくる人も大切にしている。 「わざわざ面と向かって反対意見を述べる人って、いい人なんです。陰で何か思ってる人は会議では言わないものですから。いい人とは、あとでしっかり話せば意図を理解してもらえるし、通じ合えるんです」
就職活動では40数社から不採用。卒業後はバイトで食いつないだ
学生たちには、伝えたい言葉がたくさんある。 1982年、28歳だった林は、初エッセー集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセラーとなった。“女性のねたみ、そねみ”を率直に綴り、「女性がこんな薄汚いことを書くわけがない」と大バッシングを受ける鮮烈な作家デビューだった。しかしそこに至るまでの道のりは順風満帆とはほど遠く、就職活動では40数社から不採用通知を受け取ったという。大学卒業後は4畳半の部屋に暮らしながら日給1800円の日雇いバイトで食いつないだ。 「根拠のない自信だけ、持っていました。『私は本当はスゴイんだ』って。22年も生きていればなにかしら褒められた小さな成功体験ってあるじゃない? それを夜寝る前に大切に噛み締めて。将来有名になったら、私を落とした出版社から執筆依頼がきても書いてやらないんだから、なんて夢想して。人に言わない限り一人で勘違いしている分には、いいじゃない? 謎の自信が若い自分を支えてくれることもある」 直木賞を受賞後、ヒット作に恵まれなかった “失われた10年間”には、「直木賞をとっただけの作家とは言わせない」と新境地の小説に挑み続けた。渾身の伝記小説が柴田錬三郎賞を受賞したと聞いたときは、電話口で涙。あの10年間はいま、「人生で最も胸を張れる期間」だという。 「頑張らなくていい、マイペースにやればいい。いまは、そんな優しい言葉のほうが受け入れられやすい風潮がありますよね。もちろん疲れた人はゆっくりやるのもいいでしょう。でもまだ何もやってないうちから、そうした優しい言葉を自分のモノにしてしまうのはどうなんだろうとは、思います」