知名度ゼロからの大逆転――断酒から5年、地獄を見た地下芸人がつかんだ「チャンス」
「あのときの息子の顔が今も忘れられないんです」――。下を向いて、ひとことひとことを噛み締めるように語りだした芸人・チャンス大城(48)。朴訥とした見た目と、ユーモアあふれるトークで周囲を笑顔にさせてきたチャンスだが、酒について話しだすと、それまでの笑いまじりのトークが一気に重たい空気に。地下芸人だった男が苦しんだ、酒への依存とその脱却とは。(取材・文・撮影/キンマサタカ/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
中3で吉本養成所の門をたたく
売れたきっかけは2018年の『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)だろうか。不良に山に埋められ、命からがら逃げ出すエピソードは、ディテールの凄惨さとマイペースな話術とのギャップで、スタジオの爆笑をかっさらった。「あいつは誰だ」とSNSもざわついた。 兵庫県尼崎市出身で、幼い頃から人を笑わせることが好きだった。 「3人きょうだいの一番下でかわいがってもらってましたよね。末っ子ってのは何かできなくても『まあ、しょうがないな』みたいに許されてしまうんです」 家族に愛されてのんびりと育ったが、勉強はからきしダメ。「今でも2桁の足し算は怪しいです」というほど、特に算数が苦手で九九も言えなかった。気も弱く、いつしかいじめっ子に目をつけられていた。学校に通うのが嫌で、建物の陰で一日を過ごしたこともある。
中学生になっても状況は大して変わらない。暗く沈む14歳の心に光を当てたのは、「お笑い」だった。 「テレビの素人参加番組に出演が決まって。ネタづくりが楽しくて、いじめられていることなんて気にならなかったですね。憧れのダウンタウンさんにも会えましたし」 放送翌日の学校では、まるでヒーローのような扱いを受けた。すぐに悪いやつらに呼び出され、番組の賞品「セガ・マスターシステム」は奪われたが。 中3で吉本総合芸能学院(NSC)に入ったのは、お笑いに人生の活路を見いだしたからだ。同期には、千原兄弟やFUJIWARAなどがいた。 だが、数カ月で通わなくなった。 「自信がなくなったことは覚えてます。プロになることも想像できなかった」 お笑いの道にはいったん背を向け、進学を選んだ。 「高校に行くから吉本に行けないっていう言い訳が欲しかっただけ。ビビッてたんですよ」 定時制高校に通いながら、土木作業や飲食店のアルバイトで日当を稼ぐ日々。だが、相変わらずどこでもすぐに目をつけられ、稼いだ金も巻きあげられた。電話が鳴るとビクッとする。毎日が地獄のようだった。いじめの主犯格に、山に埋められたのもこの頃だ。 「大好きなインディーズのバンドライブを見に行ったり、単車で毎週のように海や山に行ったり、楽しいこともあったんですよ。でもつらいことばっか覚えてるんです。なんででしょうね」