【89歳の美容家・小林照子さんの人生、そして贈る言葉⑧】29歳で出産。仕事と子育ての両立で気づいたこと。「よくない出来事は軌道修正の合図?」
89歳にして美容研究家であり、ふたつの会社の経営者として現役で活躍する小林照子さんの人生を巡る「言葉」の連載「89歳の美容家・小林照子さんの人生、そして贈る言葉」。今回、お話しいただいたのは、「予期せぬ出来事で悟ったこと」についてだ。 化粧品会社の「小林コーセー」に入社を果たしたあとは、持ち前の明るさと美容に対する意欲でメキメキとその実力を発揮する小林さん。私生活では1962年(昭和37年)、27歳で結婚、29歳で女の子を出産した。今までと同じ量の仕事をこなしながら、子育てに奮闘。しかし、予期せぬ出来事に見舞われる。そんなときに得た教訓とは?
綱渡り子育てだけど、仕事と子どもへ100%の愛情を注ぐ
「1958年、23歳で化粧品会社の『小林コーセー』に入社し、美容指導員の研修として現場を知るために美容部員を2年こなしたあと、私は本社教育課に配属されました。ここでもその人のチャームポイントを生かしたメイクを施し、私のメイクは評判になって、ポスターの撮影のメイクを任されるなど、活躍範囲が広がっていきました。 こうして仕事に夢中になっていた私ですが、入社4年後の1962年、27歳で結婚しました。 当時は、女性は学校を出たら家事手伝いをしながら、22歳~24歳くらいで結婚して、良妻賢母を目指すのが幸せとされていました。仕事を持ったとしても、結婚までの腰かけで『寿退社』が当たり前の時代です。 私は幼い頃の両親の記憶から、『大好きな人とは結婚しない』と心に決めていました。実母が夕暮れ時に父を待ちながら見せた寂しそうな顔が幼心にも忘れられなかったこと。そしてのちに、両親の離婚の理由を『お互いに相手を思いやりすぎて息苦しくなった』と聞いていたのです。私も一生懸命に人を好きになると、両親のようになってしまうと思ったのです」 その前に、仕事が忙しく楽しすぎて、大恋愛をする時間も機会もなく、結婚願望もなかった。 「そんな私ですが、『結婚してもいいかな』と思う人が現れました。美容学校に通い始めた頃に居候をしていた叔父の奥さんの弟。血のつながりのない親戚で、5歳年上の小林常浩(つねひろ)でした。 叔父は自分の会社を持っていて、常浩もその社員でした。実は私を自分の会社に引き抜きたいという下心があったようです。ある意味の『政略結婚』ですね(笑)。叔父は、私が結婚をしたら今の会社を辞めると思っていたのです。 こうして私は小林照子になりました。しかし、叔父の期待を裏切り、退職はしませんでした。 当時の社名は『小林コーセー』。偶然とはいえ、最初の頃は社名と同じ小林姓を名乗るのが恥ずかしいと思い、しばらく旧姓の花形照子で通していました。 しかし、2年後の沖縄出張をきっかけに旧姓をやめることに。その頃沖縄は米国民政府の統治下にあり、行くのにはパスポートが必要だったのです。まだ独身時代の名前をキャリアネームにする習慣のない時代です。現地のスタッフが混乱しないようにとの配慮でした」