大阪都構想 住民説明会10月4日午前(全文2)税金約2000億円をどぶに捨てた
地方自治研究会が大阪新都構想を提言
この提案につきましては、当時は大阪府議会、自民党から共産党までが全会一致で決議をされます。ところが、その当時はこのように制度を変える、皆さんに判断をいただくという法律はありませんでしたので言いっぱなし、決議をしただけで、そのままの状況でほったらかしになっていたと。その時代はまだ高度経済成長の時代でしたから、実際にこれを実現しなくても、それぞれ、大阪市も大阪府もそれぞれなんとかやりくりができていると。人口がどんどん増えていく時代でありますから、大阪府が、戦前は470万だった人口がどんどん増えていき、今は880万まで大阪府の人口が拡大をしていく、そういう時代でありました。 いよいよ2000年に入りました。2003年、2004年。この当時からやはり人口構造の変化というものが、これは顕著に表れてまいりました。1970年、前回の万博のころは平均寿命は70歳です。70歳。そして高齢化率は7%です。今どうなっているのかといえばご承知のとおり、平均寿命は80歳を超え、これから100年時代を迎えようとしております。高齢化率は7%から28%へと大幅に拡大をしているのが今の時代です。 そして2000年、そういうことが叫ばれる中で大阪府の地方自治研究会という研究会を当時の知事、太田さんという知事がこの研究会を立ち上げ、大阪新都構想というものを提言されました。この提言も、この大阪商工都、大阪産業都、広域行政を大阪府が担うと。大阪市から広域行政を担って一元化していくというのは同じ方向であります。これを大阪府が提言するとすかさず大阪市が反対をいたしました。同じことです。昔の特別市。大阪市はスーパー指定都市構想というのを提言しました。これは大阪府から広域の権限を大阪市に移すということです。
大阪府と大阪市はずっと対立してきた
何が言いたいかというと、大阪府と大阪市はそれぞれ自分たちが権限を持つということで、これまではずっと対立をしてきたわけです。そして2011年に僕と橋下さんが市長、知事になり、広域行政を一元化で動かしていこうという方向性が一致している市長と知事として、皆さんに負託をいただいて市長、知事の仕事に就きまして、それ以降は広域行政は一元化で動かしています。これはわれわれが人間関係によって広域行政を一元化で動かすための組織を大阪府と大阪市でつくったからです。当時は大都市局という組織です。この組織をつくるには、知事と市長が組織をつくるという人事権を行使しないとつくれません。当時は大都市局という組織をつくって広域行政の一元化をするための取り組みを進めました。今は吉村知事と副首都局という組織をわれわれが人事権を行使してつくって、その組織が府市一体の事業を担っております。 何が言いたいか。これはそれぞれの市長と知事が権限を持って、人事権を持ってつくっている組織ですから、考え方が違えば、市長がもうこの組織やめると言われると、これで終わってしまうんです。元のようにそれぞれが権限を取り合うと、そういう形に戻ってしまいます。それを制度的に担保しようとしたのが2012年の第1回目の住民投票でありました。結果は皆さんご承知のとおり、否決であります。そのときに反対されている方、おっしゃっていたのは、この広域行政というのは知事と市長、この話し合いで解決すべきだということで、大阪戦略調整会議で二重行政を解消しようというのが反対されている会派の皆さんの主張です。 ですから私は負けましたから、この会議を設置しようということに同意をいたしました。これまでの歴史を考えれば、会議では、僕は解決は難しいと思っていたんで、制度を変えようという形で住民投票まで皆さんにお願いしたんですが、負けましたからこの会議を、設置を同意して、この会議がスタートをいたしました。 結局、この会議を設置しましたけれども、具体的な内容、これ全員が一致した話し合いを、具体的な府市統合案件、二重行政解消案件を具体的に、われわれはこの議案の提案をしたいと申し上げたんですけども、いや、時期尚早だし、もっとそのために昭和の最初にさかのぼるところから、抽象的な、そういうところの議論をしようよということで、会議の議題すら決まらなかった。