20周年の矢井田瞳「音楽の力を信じて、みんなが前向きになれる曲を届け続けたい」
リビングでギターを弾いている時がやっぱり一番落ち着く
──プライベートでもご家族ができて。 大きかったですね。私、子どもが欲しかったんです。でもこの仕事って1年2年先まで話が動いていますよね。私は1つのことしかできないタイプなので、ふとこのままだったら母になれないのではと思って、2、3年ぐらいお休みをいただいて家族を作ることに専念しました。でも休んで再確認したのは、『私って本当に脳みそが音楽の近くにあるんだな』ということで、母になっても音楽のことばっかり考えちゃうし、居酒屋に行ってもかかっている音楽が気になって、ああ私は音楽を通して社会と繋がってたんだなと実感しました。リビングでギターを弾いている時がやっぱり一番落ち着くんですよね。だから娘が成長したら復活したいと思っていました。 ──10周年の「ただいま、ありがとう」復帰ライブでもファンの方はいつも通り迎えていたように見えました。 そうなのかな。人前に出る感覚を忘れかけていたから自分の中では一からだったんですが、デビュー当時にいろんな経験をさせてもらっていたので不思議とすぐに思い出せました(笑)
東日本大震災、MY LIFE IS MY MESSAGEに参加
──そして東日本大震災が起きました。 何かしたいけど何もできない苦しみの中で、山口洋さんが「僕たちはミュージシャンだからできることは音楽なんじゃないか」と「MY LIFE IS MY MESSAGE」を始めて、自分も参加しました。同時に自分としても、元気があれば何でもできるんじゃないか、音楽で元気になったら自分の好きな人に優しくできたり家族に優しくできたり、夢に向かって一歩進むことができるんじゃないかなと思って「元気祭り」を始めました。バンド編成でガンガン飛ばすライブもやりましたが、母になって伝えたいメッセージや歌いこと、声やサウンドが丸くなっていくかなと思っていたんですが、ヒットする部分や尖ったメッセージは変わらず自分の根本にあって、表現したいことが増えたみたいな感じで変わらずやれました。