「大阪ただいまー」矢井田瞳が語る故郷への思い 4日は阪神戦で国歌独唱も
20分にわたり、ヤイコが思いを語る
「大阪ただいまー」矢井田瞳が語る故郷への思い 4日は阪神戦で国歌独唱も 撮影・編集:柳曽文隆 アシスタント:岡本ゆか THEPAGE大阪 映像中の写真:sencame 甲子園の写真 :事務所提供
「大阪ただいまー」と元気にカメラに向かって手をふるのは「ヤイコ」の愛称で知られるシンガーソングライターの矢井田瞳。大阪府豊中市出身の彼女が、このトーク番組で最初に発した言葉がこれだった。学生時代に自宅で初めてギターを鳴らし「ビビっと」きたあの日、ライブで応援してくれるファンと会えるうれしさ、そして、4月4日には阪神タイガースのホーム開幕戦で国歌独唱とファーストピッチセレモニーを行うことなど、20分にわたり、ヤイコが故郷への熱い思いを語ってくれた。
布団をかぶりギターを弾き「ビビビッ」っときた感動が原点
「豊中生まれ、豊中育ちです」というヤイコだが、このシンガーソングライターのきっかけとなったのも、故郷であるこの地だった。「豊中の自宅マンションの一室で、Cコードで初めてギターを鳴らした時『私これで一生できる』って『ビビビッ』ってきたんです」 6畳のたたみ部屋で、布団をかぶりながらギターを弾いた。「これが19(歳)なりに考えた音が漏れない方法でした」と笑顔で当時を振り返る。 ヤイコいわく「ギターに目覚めた」のは遅かったそうだが、昼も夜中も弾くのが楽しみで、その先にプロになるなどはさておき「この感動はなんやろう」と思ったという。 独学でコードを探して覚え、知ってるコードが増えてくると「曲を作ってみたい」と思い、誰に聴かせるでもなく、1人で楽しんでいったことが、現在につながる大きな原点となった。
父親とスナックで歌った演歌も影響?
それまでは、ピアノを習っていたこと以外は音楽とは縁がなく、どちらかといえば、水泳やバレーボールといったスポーツが好きだったという。ただ「歌うこと」は好きだった。その影響の一つは父親の存在だという。 「家のリビングに家具と一緒になったようなレコードプレーヤーがあって、父が音楽を聴く時はみんなも聴くという環境だったんですよね。当時の流行の音楽とかいろいろ聴いてましたね」。聞けば、父がそうした音楽を聴いていた理由のひとつに「スナックで披露する歌を練習するため」というものもあったとか。 父がスナックへ行く時は、よく一緒に連れて行ってもらい、大人たちが楽しそうにお酒を飲んだり、酔っ払っていく様子を、出されたお菓子を食べながら見ていたという。そして、スナックでは、自身も歌わせてもらい、得意のナンバーは、石川さゆりの「天城越え」「津軽海峡冬景色」といった演歌だった。 「私はよく『声がひっくり返ったりするのはなんで?』『どういう練習したの?』とかみんなに聞かれてたんですけど、そういう練習はしたことがなかったんですよね」。ただ、思い返してみると、たまにスナックで演歌を歌わせてもらう時、家で練習していたものが、残っていたのかもしれないとも話す。なるほど、ひょっとしたら、こうした楽しい思い出の一つひとつも、シンガーソングライター、ヤイコの原点なのかもしれない。