20周年の矢井田瞳「音楽の力を信じて、みんなが前向きになれる曲を届け続けたい」
デビューから20年を振り返って
──20年間を振り返って、どんな思いがよぎりますか。 20年となるとさすがにいろいろありました。デビュー当時は学生だったので学業と音楽の両立で寝る間も惜しんでやっていました。急に洗濯機の中に入ったみたいに自分が今どっちの方向を向いているかもわからないけど、とりあえず目の前の物を洗う、みたいな感じ。月金は大阪で大学に通って土日は東京でレコーディングやプロモーションの仕事。ツアーが始まるとどこに住んでいるかわからない感じ。 50本ツアーをやった年もありました。ありがたいことに近くにいてくれたミュージシャンが開演10分前までずっと一緒にいて話をしてくれたり音楽を教えてくれたり、どんな規模の会場のライブでも近距離に見ている景色が変わらなかったので、心壊すことなくやり切れました。そんな忙しない日々だったからこそ生まれた瞬発力な曲もいっぱいあると思うので、今はよかったと思っていますが、そんな生活を3年4年続けていると、さすがに疲れてしまって……。
音楽的に自分に限界、助けてくれたのもミュージシャンだった
──駆け抜ける感じですね。ターニングポイントになったのは? そのスピードで数年走り続けた後、『自分の発想はなんて普通なんだろう』と思ったり私は音楽学校を出ているわけではないのでコンプレックスがあったり、音楽的に自分に限界を感じちゃったんですね。それで一度立ち止まったんです。そんな時に助けてくれたのもミュージシャンで、HEATWAVEの山口洋さんから「一人でしんどかったら誰かと一緒にやればいいじゃん」「全部自分でやろうと思わなくてもいいんじゃない」と言ってもらって、その言葉にすごく救われてまた前に進むことができました。それまでは怖くてイベントにはほとんど出たことがなかったんですが、フェスに出るのも怖くなくなりましたし、コラボも始めました。そうしたら本当に楽しくなって一つずつやりがいを見つけることができて、今につながっています。 ──怖かったんですね。 怖かったんです。デビュー当時は自意識過剰のところもあって『どう思われるんやろう』『どんな評価をされるかな』『他のアーティストと比べられるかな』『拍手してくれるだろうか』など気になってしまって。でもよく考えたら、イベントやフェスって音楽が好きな人がいろんな音楽を聴けるから行こう、というものなので楽しめばいいんですよね。今は「拍手がなかったとしても今日やるべき私のベストをやります」というハートでステージに立てるようになりました。