下積みゼロから瞬く間にスターダムへ。一転、借金22億円を抱えても折れない山田邦子が見たお笑いの世界
自分は何者なのかという問い
下積みがなくいきなり超売れっ子になった山田は常に孤独と隣り合わせだった。たけしにもさんまにも師匠がいた。「BIG3」と一緒に走り続ける山田には、心から頼るべき存在がいなかった。 女性バラエティータレントの先駆者として批判を浴びることもあった。 「それもしょうがないと思ってましたよ。私はそれまで誰もやってないことをやっていこうと思ってたんだから。何だこいつという周囲の目には、小さい頃から慣れていたから」 最高でレギュラー14本、隔週を入れると17本。誰よりも多くの冠番組を持ち、一つの時代をつくった山田の活躍は多くの人の記憶に刻まれた。だが、時は流れ、出演番組が次々と終わり、第一線で走り続ける日々からは少し距離を置いた。それでも山田の脳裏から、面白いことをしたい、人を笑わせたいという気持ちが絶えることはなかったと振り返る。念願の寄席の板を踏むこともできた。 「結局、人を笑わせるのが好きなのよ。勇気を出して出たいんですって言ったら、どうぞどうぞって」 念願の寄席の舞台に立ったのが、2年前のこと。そのときの感慨は忘れられない。同時に一つの疑問にも直面した。 「出演者には、コント山口君と竹田君とか、漫才=おぼん・こぼんとか、やっぱり冠があるわけですよね。そのとき、自分は何者なんだろうって悩んでしまったんです」
自分という人間を一言で表すのなら、「タレント」がしっくりくるだろう。だが、一芸を持つ「芸人」が集まる寄席の場に、定義が曖昧な「タレント」として立つのは違うと感じていた。では自分は何者なのだろう。 「そうしたら主催の方が、ご存じ・山田邦子って書いてくれたの。それがすごくうれしくてね。私がバスガイドさんのモノマネで芸能界デビューしたのも知らない方が増えているって聞いて、今は『ものまね漫談』という肩書がつきました。とてもいいでしょう」 お笑い以外にも活躍の幅を広げている。 「2007年に乳がんになった経験を生かして、講演をすることも多いんです。難しい話なんてできないから、まあ、漫談よ。あはは」 1000人を相手に90分間しゃべり倒す。その間、会場は爆笑の連続。彼女はマイク一本で勝負できる唯一無二の女性芸人と言っていいかもしれない。 「私もそう思いますよ。でも、終わるとヘトヘト。もう62歳だもん。あと18年で80歳だってさ。びっくりしちゃうね」