伏見工業から校名変更でも…「信は力なり」 京都工学院ラグビー部、悲願の花園へ
学校統合により名前が変わっても、「信は力なり」の魂は受け継がれていく。京都工学院高等学校、悲願の花園へ。 ※選手・監督の学年、年齢は24年12月時点 【画像】洛陽工業と統合、名と場所を新たに 伝統の“赤黒”ジャージは変わらず 京都工学院
■前回の花園出場は9年前 「新しい歴史を」
全国におよそ3万社あると言われる稲荷神社。その総本宮・京都「伏見稲荷大社」。多くの参拝客が訪れるこの稲荷山の麓に、学校統合から9年目を迎える公立高校・京都工学院高等学校がある。 京都工学院高等学校 大島淳史監督(42) 「伏見工業高校と洛陽工業、この2校を合併して一つの工業高校を作るということで京都工学院高校が生まれました」 伏見工業高校はラグビー元日本代表、熱血教師・山口良治総監督(81)が、弱小チームだった伏見工業ラグビー部を鍛え上げ、わずか数年で全国制覇を達成。その物語は「落ちこぼれ軍団の奇跡」として語り継がれている。 4度の花園優勝を誇るラグビー強豪校となった伏見工業だが、少子化や校舎の老朽化などで洛陽工業と統合。公立校ながら最新鋭の人工芝グラウンドとトレーニング施設を備える新たな高校に生まれ変わっていた。 大島監督 「我々は伏見から京都工学院になって、場所と名前は変わったんですけど、活動自体は変わらずさせていただいたので」 「(Q.ラグビー部は変わらない?)変わらないです。名前が変わっただけで」 伏見工業時代から、脈々と受け継がれてきた伝統。それが「信は力なり」。自分を信じ、仲間を信じて、力の限り突き進む。いつの時代も変らないラグビー部の魂である。 フルバック 広川陽翔キャプテン(3年) 「『信は力なり』っていう言葉があって、1人はみんなのために戦って、みんなは1人のために戦うという。チーム全体で戦うという。試合に出てる15人だけが、勝ちを目指すのではなくて、チーム全体で勝っていこうというところが受け継がれてると思います」 伏見工業時代、栄光の歴史を築いたラグビー部だが、近年は花園出場を強豪・京都成章に阻まれている。前回の出場はさかのぼること9年前。京都工学院と学校名を変えてから、まだ花園を経験していないのだ。 広川キャプテン 「やっぱり悔しいという気持ちはあるんですけど、この8年9年近く花園に行けてないので、やっぱり歴史の深い学校としてのプライドを持って今年の代で、その時代を終わりにして新しい歴史を作りたいと思います」