「試合前に遺書を書いた」27年前、UFCで初めて勝利した日本人の“壮絶な覚悟” 売名でも賞金でもなく…高橋義生はなぜ世界に挑んだのか
目的は、売名でも賞金でもなく…
そんな命懸けの覚悟で挑んだ初めてのUFCでのなんでもありの闘いで、高橋は不思議な経験をしたという。 「いま、“ゾーン”って言葉がありますけど、僕も今考えると、あのときゾーンに入ってたんですよ」 “ゾーンに入る”とはスポーツ選手などが、極限の“超集中状態”に入り、さまざまな感覚が鋭くなることだ。高橋も金網に囲まれた中での究極の闘いにおいて、そのゾーンに入るような経験をした。 「あとでイズマイウ戦のビデオを見返してみたら、ゾーンに入ったあたりから試合中に身体が一回りデカくなってるんです。筋肉が全然違うんですよ。あの時は、全然バテなかったし、疲れも何も感じなかったし、ものすごく冷静で、試合中なのに観客席から客観的に自分の試合を見てる感じなんですよ。すごく不思議な感覚でした」 この試合、テイクダウンディフェンス能力がそれほど重要視されていなかったあの時代に、レスリング出身の高橋はイズマイウのタックルをことごとくカット。時には当時は許されていたファールカップを掴んでテイクダウンを許さず、柔術家に寝技をやらせずに打撃で削っていった。そして15分1ラウンドを闘い抜き、イズマイウに見事判定勝ち。「UFC日本人初勝利」と「黒帯グレイシー柔術家を初めて破った日本人」という二つの大きな勲章を手に入れた。 しかし高橋は、この金看板を元に打倒グレイシー一族やさらなるビッグファイトを求めるなど、自分の名声をさらに高めようとはしなかった。 「UFCに出たのは、自分の名前を売りたいためでも、大金をもらうためでもなく、自分の根性を試すために出たんで。あとは、これによってパンクラスがなめられなくなれば、それでいいと思ってましたから。 だからPRIDEができたときも、黒澤浩樹先生が(運営団体KRSの)代表幹事だったことから、『高橋くん、出てみない? 』みたいな話はありましたけど、興味を示さなかったんです。それより、パンクラスがなめられないことが大事で、『パンクラスに何かあれば、俺が出ていくよ』って感じでしたね」
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