「貧乏から這い上がってきたオレにはサッカーしかなかった」ーー“ドラゴン”久保竜彦とW杯
悔しかったけど、自分がショボかった
まもなく2022年カタールW杯が開幕する。11月1日にはW杯に臨む日本代表メンバーが発表され、前回ロシア大会で「大迫、半端ないって」というフレーズで時の人になった大迫勇也(ヴィッセル神戸)の落選が話題となったが、久保も02年と06年の過去2度W杯行きを逃している。 とくに06年ドイツW杯は、ジーコ監督のもと18試合で11ゴールを挙げるなどメンバー入りが有力視されながら、持病の腰痛の影響から土壇場で落選した。 「出られるなら出たかった。小学4年のときに86年のW杯でマラドーナを見てからずっと(W杯に出るのが)夢だったし。ただ、ひざと腰が悪かったから。好きだった酒もしばらくやめて、マリノスで出会ったトレーナーの池田正剛さんの勧めで断食道場に通ったり、できることはすべてやった。だから、あれが限界。もしメンバーに選ばれたとしても、たぶん(体は)重かった。悔しかったけど、自分がショボかったってことです」
2006年5月13日、久保は埼玉スタジアムでのW杯メンバー発表前の最後のテストマッチ・スコットランド戦に先発出場している。ただ、思うようなプレーができずに62分に途中交代。試合翌日には1泊2日で山形に向かった。メンバー入りした際に少しでもいい状態でチームに合流できるよう、腰の治療のため信頼を置く先生を訪ねるためだ。落選の一報を聞いたのは、その帰りの新幹線の車中。横浜F・マリノス広報からの電話だった。 日中の撮影を終えたあと、馴染みだという光市の焼き肉店に誘うと、マッコリのチェイサーにビールを飲みながら、久保はこう述懐した。 「スコットランド戦はジーコに『出てほしい』と頼まれて出たんですけど、痛みもあって何もできなかった。(落選については)『しゃあない』って思いだけ。嫌々ながら会見のために練習場に向かったら、嫁がまだ幼かった娘2人を連れて迎えに来てくれて、横浜の自宅に帰って朝方まで飲みました。