「貧乏から這い上がってきたオレにはサッカーしかなかった」ーー“ドラゴン”久保竜彦とW杯
フィリップ・トルシエが監督をしていた1998年11月のエジプト戦で日本代表デビュー。ジーコ・ジャパンになり2004年にはエース候補として頭角を現した。2月のオマーンとのW杯予選初戦で終了間際に決勝ゴールを挙げると、春の欧州遠征でもハンガリー、チェコ、アイスランドを相手に3戦連発の4ゴールと爆発し、ジーコの信頼を獲得した。ただ、同年にマリノスでJリーグ連覇を果たしたこともあり、代表、リーグ、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)と試合数が増加したことは、久保の大きな負担となった。 「ジーコのときは、すごく調子がよかった。でも、試合が増えても休めず、段々とひざと腰の痛みが出てきてしまい……。最初は痛み止めで治まっていましたが、ずっと続けていると徐々に効かなくなってくるんです」 ジーコは何度もアメリカでの手術を進めた。だが、久保は頑なに首を縦に振らなかった。 「手術は、何があるかわからない。だから、オレは現役時代に1度も手術をしていないんです。そもそも、人に体を触られるが嫌で、髪の毛だって他人に切られるのは嫌。歯の治療だって、唯一横浜の信用している先生だけにお願いしていて、少し前には痛くて自分で抜きましたからね(笑)。後悔? それはまったくないです。結果的に(手術を)しなかったので、いまは体が自由に動きますから」 誰とでもすぐに打ち解けるタイプでない久保にとって、その人が信用できる、できないは大きな問題なのだろう。だが、それをどう判断しているかと聞けば「信用をどう判断? なんすかね、雰囲気とか……」と曖昧なあたりが、久保らしいところなのかもしれない。
自分が決めたことに対して、愚直に続けて、続けるのが森保さん
カタールW杯に臨む日本代表の森保一監督は、久保のサンフレッチェ広島時代の8つ上の先輩にあたる。プロ入り時、左MFだった久保にとっては、セントラルMFとして常に隣で声をかけてくれた恩人でもある。結婚時には保証人になってもらうなど、公私ともに世話になった。 「オレがプロのやり方に迷っていた頃に『ボールを持ったら好きにやれっ!』って、声をかけてくれたのが森保さんでした。その代わり、戻りが遅いとめっちゃ怒られましたけどね(笑)。優しそうな顔をしているけど、細かいところをよく見ているし、ダメなことははっきり言うのが森保さん。じゃないと、日本代表の監督なんて、できないでしょ。 ルーキー時代の最初の合宿で相部屋になったオレにとっては、ある意味で鬼みたいな人。森保さんがオレに目をかけてくれていたかはわからないけど、オレはこの人についていけばプロで生き残っていけるんじゃないか、そんな風に思ってました」 まだ20代の頃、喫煙していた久保に禁煙するキッカケを作ったのも森保だった。久保はあるとき、森保から「タツ、1年間タバコやめたら10万円やる」と言われて、それ以来1度も吸っていないという。 「その10万円、いまも家にありますよ。神棚っていうか、(元サンフレッチェ広島の総監督で、高校時代に無名だった久保を発掘した恩人の)今西和夫さんの写真と一緒に。拝む? 拝みはしないけど、何かあったときに見るとやっぱり気が引き締まります(笑)」 森保が勝負師かどうかはわからない。ただ、「何があってもブレずに信念を通す」のが森保だと久保は断言する。 「現役時代、練習で森保さんが若手に削られて足首を骨折したときがありました。そのときも何も言わずに『しゃあない』って、ひたすらリハビリしていましたから。自分が決めたことに対して、愚直に続けて、続けるのが森保さん。だから、選手はついていくんじゃないですか。人のことを悪く言うのを聞いたことがないし、森保さんのことを悪く言う人も見たことない。同じ九州男児として、ずっとああいう男になりたいって目標でしたね」