四球攻めとの知られざる苦闘…なぜ大谷翔平は本塁打王を獲得できなかったのか
満員のTーモバイルパーク。七回2死走者なしで、エンゼルスの大谷翔平が打席へ。それまでの4打席は、敬遠が2度。今季最後の打席は点差も開いていたことから、ようやく勝負してもらえたが、高めのボール球に手を出し、中途半端なスイングで空振り三振。初回、右翼席へ46号を放ち、ひょっとしたらーーという期待を抱かせたが、後が続かなかった。 結局、ア・リーグの本塁打王は最終戦でブラディミール・ゲレーロJr.(ブルージェイズ)が一発を放ち、サルバドール・ペレス(ロイヤルズ)と48本で分けあった。しかし、大谷がア・リーグのMVP(最優秀選手)を受賞することは確実視されており、もはや注目は満票なるかどうか。出来ればそこにタイトルで華を添えたいところだったが。
リアル二刀流実現のきっかけとなった4月4日のWソックス戦
歴史的なーーと形容することに異論はない。何もかもが規格外の1年。3月21日のパドレス戦で初めて投手として打席に立ったとき、「シーズンでもしかしたらやる可能性もあるので、ぶっつけ本番でやるよりは、開幕前にやっぱりやったほうが良いよねっていう感じ」と軽い感じで意図を明かした大谷だが、すでに方針は固まっていた。 出来るのか? という声を封じたのは4月4日の初登板(ホワイトソックス戦)。大谷は1打席目にライトスタンドへ打球を運び、そのときのバットの音は、右翼ポールに近い記者席にまで轟いた。 先日、大谷についての総括会見を行ったジョー・マドン監督は、「あの一振りで空気が変わった」と振り返り、こう続けた。 「あの頃は、まだ本当に二刀流として出来るのか? という懐疑的な見方があった。しかし、あれからみんな、彼なら出来ると信じるようになった」。 とはいえ、ここまでのシーズンを送るとは、誰も予想していなかった。しかも、本塁打のタイトル争いを終盤まで牽引するとは。 流れを改めて振り返ると、大谷が両リーグを通じて本塁打で単独トップに立ったのは6月29日のこと。前半を終えて33本とし、2位のゲレーロに5本差をつけて折り返した。 ところが、8月に入ってペースダウン。9月12日、まずはゲレーロJr.に、15日にはペレスに44本で並ばれ、その後、ライバルが本数を伸ばしたのに対して大谷は21日に45本目を打ってから足踏み。最終戦の一発は、実に11試合ぶりだった。 期待が高すぎるがゆえ、失速と映った面も否定できないが、何があったのか。 まず、ペレスとゲレーロが驚異的なペースで本塁打を重ねたことは否定できない。 ペレスは8月25日の試合から5試合連続本塁打を記録するなど、25日から9月5日までの11試合で8本塁打を放ち、大谷をハイペースで追い上げた。一時調子を崩したゲレーロも9月6日からの9試合で6本塁打をマークし、大谷を捉えた 。特にペレスは、後半だけで27本塁打。神がかっていた。