「なんで言ってやれなかったんだろう」天龍源一郎74歳が語る亡き妻への後悔 #老いる社会
亡き妻に言えなかった一言
カッコつけたようなことも言ってますけど、女房が亡くなったときは、本当にいろいろ考えました。「なんでオレを置いていくんだよ」とも正直思いました。 女房は、いつもオレのことを一番に考えてくれてたんです。体にいいと聞いた漢方があれば、地方まで買いに行ってくれたし、自分のことはそっちのけでどれだけお金がかかっても時間がかかっても優先してくれたし、プロレス団体と交渉をするときでも、天龍源一郎の値打ちが下がらないように断固として戦ってくれてました。 その彼女が先に逝った。これはね、まいったね。やっぱり。もうちょっと、あんた、自分のことを大事にしときなよと。今さら言っても、遅いんだけど。
オレね、たった一つ、悔いがあるんです。病院で家族で会ってまだ話せた最後の頃に、女房がポソッと尋ねたんです。「お父さん、私はあとどのくらい生きるの?」って。 そのとき、オレはうやむやにごまかして会話を終わらせたんです。そこで、「大丈夫だよ。何があったって、オレが守ってやるから」ってなんで言えなかったのか。この短い言葉がなぜ言えなかったのか。今でもね、本当に後悔してますよ。 「あとどのくらい生きるの?」なんて聞きたくなかっただろうけど、そのイヤなことを旦那だから聞いたんだと思うんです。強いだとか、男らしいだとか、そういう世界で生きてきたつもりなんだけど、そこでその一言が言えない。情けない人間ですよ。なんで言ってやれなかったんだろうね。本当に。申し訳ない。 娘には瞬時に否定されたけど、オレ、本当は腕に「まき代命」って入れ墨を入れようとも思ってたんです。何か自分の中で、押さえておきたいんだよね。結局、自分が楽になりたいのかもしれないけど。そうなると、ますますダメ男なんだけどね(笑)。
胸いっぱいの老後を送りたい
引退するときは「腹いっぱいのプロレス人生でした」って言ったんですよ。 “腹いっぱい”っていうのは、行動で何かを潤したとか、みんなにメシを食わせたとか、自分がやったことが直接そのまま何かにつながる。それが“腹いっぱい”だったなと。 プロレスラーとしての時間には区切りがついたんだけど、人としての時間はこれからも続きますからね。老後は「胸いっぱいの人生を送りたい」。これだね。 “胸いっぱい”っていうのは、自分を必要としてくれている場があって、そこに行って、実際にみなさんに喜んでもらう。役に立つ。頑張ってるヤツがいて、こいつのために何かを押しつけがましくなく、やってやりたい。そういう中で感じるのが“胸いっぱい”なんだなと。 8月にあいさつに行った全日本プロレスでも、古巣なのにたくさんの人が喜んでくれるんだよね。自分ができることはなんでもやりたい。プロレスへの恩返しになるかは分からないけど、そういうことをやりたい気持ちがものすごく強くなってるのは事実なんです。 これもよく考えたら、昔からの性分なのかもしれませんけどね。 芸人の「レイザーラモン」RGが、取材でオレのことを恩人って言ってくれてたみたいでね。 以前「ハッスル」という団体で一緒にリングに上がってたんだけど、本職のレスラーの中に芸人がいるわけだから、控室でも居場所がなさそうにしてるわけよ。そういうのを見ると、放っておけなくて。「おまえも呼ばれてここにいるわけだから、堂々としてりゃいいんだよ。オレの隣に座っとけ」と言いましたね。