”育ての親”水谷実雄氏、引退した前田智徳氏との思い出を語る
幾度となく故障に泣かされながらも、通算2000本安打を達成し、惜しまれながら2013年のシーズンを最後にユニホームを脱いだ広島・前田智徳氏。その“育ての親”とも言うべき水谷実雄氏は奇しくも、前田のラストイヤーを見守るかのように、敵チームではあるものの現場に復帰し、そしてオフに自らユニホームを脱いだ。 広島・前田智徳はイチロー以上! 最高のバッターだった 水谷氏は選手として、広島~阪急で1522本の安打を放ち広島時代には、その黄金期を支えた。指導者としては阪急~広島~近鉄~ダイエー~中日~阪神と実に6球団渡り歩き、数多くの名打者を育て上げている。そんな名コーチにとっても、前田智徳氏は特別な存在だったという。前田氏との二人三脚の思い出について、話を聞いた。
■“モヤシ”みたいだったルーキー時代 1990年に、前田がルーキーで入ってきた時、今まで見てきたバッターの中でも上のランクじゃな、と感じたんよ。体つきはな、当時は“モヤシ”みたいなもんじゃったけど。ボールの捕まえ方が、ええ捕まえ方しとった。これは先天的なもんで、なかなか簡単に教えてもできるもんじゃない。他の選手に説明するために、バッティングの教科書にしたいバッターじゃったんよ。一つだけ前田に注意しとったんは、伸び上がって打つクセ。バッティングちゅうのは、伸び上がると力が逃げてしまう。逆に、沈み込んで打つと下半身に力が入けえのぅ。 経験を重ねていくと色々覚え、考え方も変わって逞しくなってきた。ただ、自分を追い込み過ぎると体が動かんなる。やろうとしてるんやけど、動かんなるタイプ。他の選手には「やらんかい!」って怒鳴るんじゃったが、前田には(気持ちを)切り替えさせることが大事やった。理詰めじゃのうて、対象物で教える。体で覚えさせる。前田はスランプになると体が開く。そういう時は開かんように意識するんじゃのうて、逆方向に打たせる。逆方向へ、それも流し打ちじゃのうて引っ張る気持ちで。バランスよう打てるまで1時間でも2時間でもレフトへ打たせた。(左打者の)軸足の左足をコマの軸のようにしっかり使えぇと。