脳腫瘍、悪性リンパ腫、白血病、大腸がん、肺がんを乗り越えたIT社長…闘病と体力回復のリアル
何もしないで生きていく
再び悶々と思い悩む日々が続きます。自分の存在価値を揺るがすアイデンティティ・クライシスにおちいっていました。 しかしある日、妻の言葉で目が覚めました。 「会社を売却したら、もう何もやらなくていいんじゃない? 私も仕事をしてるんだし」 そして妻は続けました。 「仮に働く必要がなくて、やりたいことだけやればいい状況になったとして、それでもどうしても仕事がやりたいのであれば仕事をすればいいけど、そうでないなら無理に何かをしようとする必要はないよ」 この言葉には衝撃を受けました。 「何もしないで生きていく」ということを考えたこともなく、人間は一生、何か仕事をして生きていかなければならないと信じて疑わなかった自分としては、「何もしなくてもいい」という考えは純粋に新鮮でした。 「そうか、何もしないという選択肢があったのか」と。 自分が勝手に縛られていた固定観念を初めて疑うことになりました。 人間は働かなければならない、働かざる者食うべからず、という固定観念。 戦争から帰ってきてから長野で文具問屋を始めた祖父は、晩年も病床で帳簿をめくり、まさに死ぬまで働いていました。 そんな祖父の姿を見て育った私自身も、死ぬまで会社を経営し続けるのが人生の目標でした。 そんな自分が2011年に脳腫瘍になってからは、人生の優先順位を仕事から家族へと大きく見直し、人生の目標も「娘の二十歳の誕生日を家族3人で乾杯してお祝いする」というものに変わっていました。 それでもさすがに仕事を辞めるなんてことはまったく考えたことがなく、プライベートも大事にした上で仕事はずっと続けていくものだと、なんの疑いもなく思っていました。 それが、働かなくてもいい、何もしなくてもいいとは──。 そんな生き方があろうとは思いもよりませんでした。自分にとってはコペルニクス的転回でした。 会社に固執せず、思い切って手放すことで、また新しい人生がひらけるかもしれない、と思うようになっていきました。 友人や先輩に相談しながら、会社の売却について具体的に検討し始めました。ベンチャー企業のM&Aの専門家を何人か紹介してもらって相談していきました。 いろいろな方からアドバイスをもらいながら、1年ほどかけて売却先企業を選定し、売却条件を交渉していきました。