脳腫瘍、悪性リンパ腫、白血病、大腸がん、肺がんを乗り越えたIT社長…闘病と体力回復のリアル
ところが翌日の夕方、病院から携帯電話に着信がありました。 悪い予感がします。 電話をとるとGY先生からでした。 先生は話しにくそうに言います。 「急性骨髄性白血病でした」 急性骨髄性白血病、つまり血液のがんです。 先生によると、過去2回のがん(脳腫瘍と悪性リンパ腫)の再発や転移ではなく、別の新しいがんだそうです。 悪性リンパ腫も血液のがんなのですが、その治療時に行なった化学療法が原因で発症した、治療関連の二次がんだと説明されました。 私にとっては3回目のがんということになります。 まったく想像していなかったので、純粋に驚きました。再発か、なんでもないか、の2つの可能性しか考えていなかったのです。これまでと別のがんだとは予想していませんでした。 病名を聞いて、新たな不安がよぎります。 「ということは、今回は移植を避けられないということでしょうか」 「そうですね、今回の病気は、移植しないと治すことはできませんね」 これを聞いてまた衝撃を受けました。 移植、つまり造血幹細胞移植は、前回の悪性リンパ腫のときに勧められたものの、さまざまなリスクを考えて最終的には受けないことに決めた治療です。 2013年当時、私のタイプの悪性リンパ腫は、日本の学会における標準治療のガイドラインでも、化学療法だけで治るのか、移植が必要なのかは結論が出ていませんでした。 ただ虎の門病院の先生たちの感覚としては、どちらかというと移植したほうが治る可能性は高いだろう、とのことでした。 しかし、移植は抗がん剤の副作用や、移植した造血幹細胞による免疫反応、そして長く続くGVHD(移植片対宿主病)などと闘うことになる、非常に苦しく辛い治療です。 さらに、治療自体が原因で命を落とす治療関連死のリスクも小さくありません。できれば避けたいと思っていました。 そのため、悪性リンパ腫の治療のときは、移植をせず化学療法のみで治した事例はないかと海外の論文を自ら調べ尽くした結果、アメリカの論文で成功例を見つけ、その論文を根拠に、移植を避け、化学療法のみで治療をすることを選択しました。 ところが今回の急性骨髄性白血病では、移植は避けられないというのです。 後に自分でも調べてみましたが、国内のガイドラインでも海外の論文でも、私のような急性骨髄性白血病の場合は、移植が治療の第一選択となっていました。 当然ながら、先生たちも経験上、移植しないと治すことはできないとおっしゃいます。 先生からはすぐに入院したほうがいいと言われ、数日後から虎の門病院に入院することを決めて、電話は終わりました。 その夜、妻と娘に、また別の病気が見つかったことを伝えました。 当時6歳だった娘は号泣しました。それまでに見たこともないような激しい泣き方です。 「パパ、もう病気にならないって約束したのに! もう入院しないって約束した!」と、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら繰り返しました。 「5日で帰る? 1か月で帰る?」 「……もう少しかかるかな」 「今度のはがんじゃない?」 「……今度の病気もがんだけど、でもまた治して帰ってくるよ。だって前のときも、その前のときも、ちゃんと治したでしょう?」 納得しない娘は、大泣きしながら「パパが欲しいものなんでもあげるから、すぐに帰ってきて。300枚入りの折り紙全部あげるから、早く帰ってきて!」と、小さな体全部で訴えてきます。 そんな娘を見て、妻と私と、3人で身を寄せ合って泣きました。がんの告知でこんなに泣いたのは初めてのことでした。