「依存症は回復できる病気です」81歳・アルコール依存症経験者の執念がつくる“脱強制”の回復プログラム #病とともに
米国で受けた衝撃
城間さんは57歳のとき、東京にある自助グループの日本事務所で働き始めた。英語文献の翻訳出版などの仕事を手掛け、その後、渡米。米国の回復施設を訪れ、「リカバリー・ダイナミクス」というプログラムを学んだ。ジョー・マキューというアルコール依存症回復者がつくったもので、「12ステップ」を回復施設用にしたプログラムだった。 プログラムの最大の特徴は、12ステップの論理的一貫性をわかりやすく説明し、それを数十枚の図にして示したことだ。マキューの直接の願いは、差別で苦しんでいた黒人のアルコール依存症者を一人でも多く助けることだった。 城間さんが仲間と翻訳したマキューの著書『回復の「ステップ」』など数冊は、当事者を中心に今でも読み継がれている。 「米国では、ほかにも大切なことを学びました」と城間さんは話す。 依存症は個人と社会の両面に関わる問題だという視点。これは、個人の回復と社会の回復(偏見や差別がなくなること)の両方を進めることで、相乗効果が起きることを示唆していた。 「2000年頃に始まった新回復擁護運動は、全米5500万人のアルコール・薬物依存症者のうち2350万人を回復につなげることに成功していました。そして当時は、リカバリー・コミュニティー団体が、まさに誕生している最中でした」
城間さんは帰国後、アメリカの依存症者の回復運動を追ったドキュメンタリー映画『アノニマス・ピープル』を見た。その中で、依存症当事者とその家族が一体となって公道を歩く「リカバリー・ウォーク」に衝撃を受けたという。日本では依存症当事者には偏見が付きまとい、公の場に出ることさえできない。 城間さんはそうした運動に憧れ、東京や横浜でリカバリー・パレードを仲間と始めた。
「自分は幸せになっていい」
久里浜医療センターの医療福祉相談室長で、精神保健福祉士の前園真毅さんは「全国には約80カ所の回復施設があるが、YRCは他と違う」と言う。 「昭和の時代から回復施設のプログラムは『スリー・ミーティング』と言って、朝、昼、晩のミーティングを繰り返すんです。でも、これが合わない人も少なくありません。その多くは途中でやめてしまう」 YRCはそうした人々の居場所になっていると前園さんは言う。 「誰でもウエルカムで、男性でも女性でも、どのような依存症でも構わない。いわゆる中間施設と違うところは、そこです。城間さんは『自分は12ステップの自助グループで回復した。でも回復の方法は他にもある』とよく口にします。この言葉がYRCを象徴しています」 城間さんの周囲には今、30人近くのボランティアのリカバリーサポーターがいる。依存症や人生の危機を克服した経験を持つ人が多く、園芸や瞑想、アートなど、プログラムも多様だ。 「YRCの一番の特徴は『プログラムの多様性』かもしれません。他人と張り合う生き方を送ってきた依存症者にとって、物事の多様性を学ぶことは回復の礎になります」