「依存症は回復できる病気です」81歳・アルコール依存症経験者の執念がつくる“脱強制”の回復プログラム #病とともに
そしてナギサさんは、何もかも嫌になった。25歳のとき、死のうと思って福井県の東尋坊に向かった。死ぬ一歩手前で思いとどまった。死ななかったのは、母に対する怒りがあったからだ。 「僕は自由というものが分からない。社会では自分の無力さってものを十分に味わった。ただ、ここYRCに来ると、共感でき、安心できる仲間がいる。彼らが傷を癒やしてくれるんです」
7回の入院、最後の入院時に訪れた回復の転機
城間さん自身の人生も依存症との闘いだった。 初めて酒を飲んだのは21歳。「顔が紅潮して。お酒がこんなに気持ちよくしてくれんだと」。以来、飲酒は毎日。仕事でストレスを抱えると、酒量は増えた。妻や義父母に金銭面でも負担をかけてしまい、家でも職場でも気が休まらなくなった。
「家に帰ると妻や義父から借金のことで詰問されるようになりました。サウナに泊まって朝から飲み続けて、一日中酔っているときもあった。それが3日間も続いて」 40歳でアルコール依存症になり、専門病院に入院した。3カ月後に退院したが、「若いときは楽しく飲めたのだから大丈夫だ」と考え、また飲み始めた。その後は数年おきに入院。数日間飲酒が止まらなくなる連続飲酒発作も起きるようになった。 「途中で止めることができず、泣きながら飲んでいました」
その後、依存症はひどくなるばかり。妻には離縁され、家賃4万円のアパートに移った。その途端、仕事で大失敗して自信を失い、11日間の連続飲酒を経験した。飲んでは寝て、起きたら飲む。やがて娘2人に説得され、7回目の、最後の入院となった。 病院で城間さんは酒に負けたことを心の底から認めた。それが回復に向けた転機となり、入院中から毎晩のように自助グループのミーティングに出席した。 城間さんが振り返る。 「アルコール依存症になると断酒も節酒もできなくなる。絶体絶命状態の病気なんです。しかし、助かる方法がないわけではない。自分の意志では断酒も節酒もできないことを心底から認めること。それが最初のステップだと教えられました。50歳でようやく断酒が始まり、最後の入院が回復への転機となったんです」