「依存症は回復できる病気です」81歳・アルコール依存症経験者の執念がつくる“脱強制”の回復プログラム #病とともに
11月10~16日はアルコール関連問題啓発週間。かつて自身もアルコール依存症に苦しみ、横浜でさまざまな依存症から回復するための拠点を運営する城間勇さん(81)はこう語る。「依存症からの回復を目指すプログラムは大海原へ漕ぎ出した船のようなものです」。乗組員は依存症から回復した本人や家族、支援者たちであり、ミッションは依存症でおぼれかけている人たちを救うことだ。アルコール、ギャンブル、薬物……。依存症の当事者は「横浜だけで9万人を優に超える」(城間さん)というなか、回復を目指す人たちの現場に迫った。(文・写真:後藤勝/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「生きるため」にお酒に頼る
ある日の午後。 NPO法人・横浜依存症回復擁護ネットワーク(以下Y-ARAN)の理事長を務める城間さんは、神奈川県横須賀市の久里浜医療センターを訪れた。依存症の治療で日本の草分け的な病院だ。城間さんは研修会で講師を務め、全国の医療、回復施設関係者に自らの経験などを話すことになっていた。 城間さん自身も、かつてアルコールの海におぼれた経験を持つ。仕事も家族も友人も失った。断酒に成功して30年近くになるものの、当時を忘れたことはない。 依存症は精神の病とされている。特定の物やプロセスに熱を上げるうちに、脳の回路が変化し、やめられなくなっていく。厚生労働省によると、アルコール依存症の患者は約12万人、潜在的な患者は約57万人。ギャンブル依存症が疑われる人は約70万人(統計は2016年)。このほかにも薬物依存症やセックス依存症、ネット依存症などがある。
研修会の最後、城間さんは一人の女性のことを語った。40代の彼女は、アルコール依存症の自助グループにつながったのち、城間さんが立ち上げた「横浜リカバリーコミュニティー」(以下YRC)で回復に取り組んだ。 「20代から『生きるため』にお酒に頼り、20年間ブラックアウトするまで飲み続けたそうです」 毎晩意識が飛ぶまで飲み続けることで何とか眠ったのだという。悲しみや絶望はときに怒りとして爆発し、人間関係は続かなかった。急性アルコール中毒になった際も、元夫は「救急隊はおまえみたいな酔っぱらいのためにいるんじゃない」と助けを呼ばなかった。 「自分の命は必要とされないと感じながら生きる。その罪悪感を流すために、さらにお酒だけに頼る。そういう仲間の話はときどき聞きます」 女性は結局、適応障害で職場を退職。その後、縁があってYRCに通うようになり、1年8カ月にわたって断酒を続けているという。 「YRCのような、いつでも行ける自由な居場所があると、安心が心の底を流れ始めたそうです。それまでずっと孤独だったという証でしょう」