なぜ日本代表MF橋本拳人はロシアのロストフ移籍を決断したのか?「もっと厳しい環境に身を置かねばならない」
当面は今年1月に結婚を発表した夫人を日本に残し、新たな戦いの舞台へ単身で乗り込む。以前から学んできた英語を身振り手振りで駆使することに加えて、挨拶程度ながらロシア語も覚えているという橋本は、日本代表でヨーロッパ組から学んだ海外へ順応するためのポイントをこう明かす。 「まずはサッカー以外の面で、どれだけストレスに打ち勝てるかが大事になってくる。コミュニケーションを含めて、ストレスなくサッカーができる環境を整えたいと思っていますけど、ちょっとしたストレスならばどれだけ受け流せるか、処理できるかというところも意識してやっていきたい」 FC東京での最後の試合となった、前日18日の浦和レッズ戦で先発フル出場。後半途中からはキャプテンマークを託され、ホームの味の素スタジアムに限れば、橋本がFC東京のスクールに通い出す以前の2004年9月を最後に、15試合連続で勝てていなかったレッズに2-0で快勝した。 FC東京をリーグ戦覇者にする目標はかなえられなかった。それでも、今シーズンの戴冠へ弾みをつける天敵からの勝利を置き土産にして、試合後の壮行セレモニーではちょっぴり目を潤ませ、石川さんからは花束を手渡された橋本は、一夜明けて意外なことを照れながら明かした。 「ロストフでも早々に『18番をお願いします』と言いました。別の選手が着けているので待ってくれと言われていますけど、もしかするとつけさせてもらえるかもしれないですね」 ポジションが約束されていない戦いが待っているからこそ、かつては自らの意思でJ2のロアッソ熊本へ期限付き移籍して武者修行を積み、どん底からはい上がってきた自身のサッカー人生がダブる。20日には都内でメディカルチェックを受ける橋本はビザを取得次第、希望とともに日本を旅立つ。 (文責・藤江直人/スポーツライター)