なぜ日本代表MF橋本拳人はロシアのロストフ移籍を決断したのか?「もっと厳しい環境に身を置かねばならない」
3月26日のボリビア代表との国際親善試合を皮切りに、昨年は国際Aマッチ7試合で先発。公式戦となるカタールワールドカップ・アジア2次予選の2試合も含まれたなかで、フル代表の主軸を担うヨーロッパ組からピッチの内外でカルチャーショックに近い刺激を受け続けた。 「ヨーロッパ組には本当にタフな選手たちが多いと、一緒にいて感じました。話をしていても日本のJリーグとは環境も大きく異なっていて、周囲とコミュニケーションを取ることを含めて困難がたくさんあると聞かされているうちに、僕自身にもそうした困難が必要だと思うようになったんです。それらを乗り越えていけばさらに強くなっていけると、もう一回自分に火がついたというか」 それでも、海外から声はかからない。18歳になった直後の久保が昨夏にスペインへ旅立ったように、需要は若手に集中する。来月で27歳になる自分は目に留められないのか、といった思いも脳裏をかすめていたなかで、新型コロナウイルスによる中断期間にロストフからオファーが届いた。 FC東京の公式ウェブサイト上で、ロストフへの完全移籍が発表されたのは今月9日だった。本田圭佑(CSKAモスクワ)を皮切りに松井大輔(FCトム・トムスク)、巻誠一郎(FCアムカル・ペルミ)、赤星貴文(FCウファ)、西村拓真(CSKAモスクワ)に続く6人目で、ロストフでは初めてロシア・プレミアリーグでプレーする日本人選手になるまでの経緯を、橋本はこう語っている。 「最初は興味があるという話でした。自分でも予想していなかったロシアという国だったこともあり、正式なレターが来たら考えますと代理人に伝えましたが、けっこう早い段階で正式なオファーが届きました。最初は行くか、行かないかが半々でしたけど、年齢的にもラストチャンスだし、新型コロナウイルスで経済的にも難しい状況でオファーを出してくれたことへの感謝を考えたときに、もちろん葛藤はありましたが、1週間ほどで『これは行かないといけない』と思い始めました」