なぜ日本代表MF橋本拳人はロシアのロストフ移籍を決断したのか?「もっと厳しい環境に身を置かねばならない」
断腸の思いを込めて、安住の地からあえて旅立つ。主力が約束されている日本ではなく、人生で一度も足を踏み入れたことのない未知の国で、夢を具現化させるためにゼロからの勝負を挑む。 J1のFC東京からロシア・プレミアリーグのFCロストフへ完全移籍する、日本代表MF橋本拳人が19日にオンライン会見へ出席。小学生年代のスクールから17年間にわたって心技体を磨いてきた、愛着深いクラブを離れる決断を下すまでの経緯や新天地にかける意気込みを語った。 「プロになったときから、いつかは海外でプレーしたい、という漠然とした思いがありました。いままで指導してくださった方やお世話になった方が近くに大勢いる、FC東京でプレーする方が確かに幸せだと感じていました。それでも、僕自身が目指してきた、ワールドカップで活躍する自分の姿を含めた夢というものをあらためて考えたときに、もっと自分に厳しい環境に身を置かなければいけない、もっとタフな選手になりたい、もっと自分のレベルを上げたいと思ったのが一番の理由です」 移籍を決断するに至った理由をこう説明した橋本だが、一時は海外挑戦をあきらめかけた時期があったとも明かす。2017シーズン限りで引退したFC東京のレジェンドで、アカデミー時代から憧憬の念を抱き続けた石川直宏さんの象徴だった「18番」を、志願して受け継いだ2018シーズンだった。 「あのときはFC東京に骨を埋めるというか、FC東京で長くプレーして、FC東京の象徴のような選手になろうと思って背負いました。海外へ行くには長友(佑都)選手や武藤(嘉紀)選手、(久保)建英選手のように爆発的なパワーや活躍を見せなければいけないのかな、とも感じていましたし、自分のプレースタイル的にはガンガン点を取る感じでもない。ボランチとして海外へ行くことの難しさをすごく感じていたというか、それこそ日本代表に入らないと絶対に行けないものだと思っていたので」 その日本代表に初招集された昨年3月を機に、封印されかけていた思いが再び呼び起こされた。当初招集していた守田英正(川崎フロンターレ)の負傷離脱を受けて、森保一監督は強靱なフィジカルを駆使したボール奪取と、ダイナミックな攻撃参加を見せていた橋本を代役に指名した。