江夏豊氏・伝説のオールスター9連続奪三振…そのとき捕手・田淵幸一氏がひそかに考えていた作戦とは? キャッチャーになった驚きの理由
昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”を、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る! 【画像】田淵幸一氏が語るバッティングの極意 阪神タイガース・西武ライオンズの主砲として活躍した田淵幸一氏。強肩強打の捕手で通算474本の本塁打を放ち、王貞治氏の連続ホームラン王を13年でストップさせた。滞空時間が長く大きな放物線を描くホームランでファンを魅了した伝説の“ホームランアーチスト”に德光和夫が切り込んだ。 【前編からの続き】
硬球を触りたくて捕手に…
徳光: 高校は法政一高。最初からキャッチャーだったんですか。 田淵: いやいや、外野手でした。外野手で登録して入部したら、グラウンドに100人ぐらい1年生がいるわけですよ。「あー、行こうぜ、行こうぜ」って声がけする。どこ行くのか知らないけど、「行こうぜ」って言うんですよ(笑)。 それまでは軟球でしたから、「これじゃ硬球を触れない」って思って、パッと見たらバッティングキャッチャーは誰もやってないんです。汚いマスクを被ってプロテクターを着けて立ったり座ったり…。いつ行っても空いてる。 田淵: 「これちょっとやってみようかな」と思ったのが、キャッチャーの始まりなんです。硬球を触りたいがためですよ。
病み上がりに才能開花!?
田淵: 高3のときの合宿で、風邪をひいて熱が出て宿舎で2~3日休んだんです。そして「もうバッティングしてみろ」ってなったときにボールが飛んだんですよ。そのときに「あれっ、力じゃねぇな」と。 徳光: そのときにコツをつかんだわけですね。 田淵: 私のホームランバッターとしてのスタートは、そのときなんです。バットを構えて、インパクトして、フォロースルーを取るでしょ。それが、0対100対0なんです。構えるときは0、インパクトが100、フォロースルーが0なんです。 力はいらないんです。タイミングで当たるところだけしか考えてない。 徳光: 法政一高時代はプロのスカウトは来なかったんですか。 田淵: 来るわけないです。それで松永さんが法政大学の監督になる。タイミング良く私も…。 法政一高の監督として田淵氏を指導していた松永怜一氏は、昭和40年に法政大学野球部の監督に就任。田淵氏が法政大学に進学したのもこの年だ。松永氏はリーグ優勝6回と法政大学の黄金期を築き、ロス五輪では監督として日本代表を金メダル獲得に導いた。 徳光: そうか。松永さんは一高から大学の監督になったんですよね。 田淵: そうなんですよ。だから、人間ってタイミングってあると思うんですよね。
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