芥川賞・松永K三蔵さん「家族が一番です」家庭人、会社員だからこそ書けた「バリ山行」 小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。
自分が書いたものでないと意味がない
松永さんにとって「小説家になる」とは。 「自分の書きたい気持ちに、出版社のシステムが乗っかってくれること。あのまま受賞しなくても、僕はずっと小説を書き続けていました。芥川賞をとっても、また小説を書くだけで、そこに変化はない。ただ、自分がオモロイと思うものを自分の言葉で書くだけ。たまに新人賞の傾向と対策というようなことを言われますが、自分が書きたいことや自分の言葉を変えてはいけないと思います。極端なことを言えば、例えば安部公房の未発表原稿があったとして、名前が空欄になっている。それを新人賞に出せば受賞間違いなし、じゃあそこに自分の名前を書くかって話だと思うんです。やっぱり本当に自分が書きたいもの、自分の言葉で書いたものじゃないと意味がない。それで評価されないなら仕方ないという肚(はら)は括っていました」 今後はどんな小説を書いていきたいですか。 「人間が必死に生きるということを書きたい。僕はニーチェが好きなんですけど、『世界は不条理で、虚無』という前提がある。虚しい徒労であったとしても、そこに抗う人間を書きたい。そして、もしかしたら虚無の先に何かあるのではないかということを小説でやりたいんです。創作だからできること。虚構だからこそできることがある。それは読んだ人がそれぞれに感じ取れる余地でもあると思う」 小説家になりたい人へアドバイスを。 「流行のテーマや、新人賞の傾向や対策などを考えず、本当に自分が書きたいものを自分の言葉で書くことが大切だと思います。 それと、手書きはおすすめです。僕は、いったん手書きでだだーっと書いて、それをパソコンに写しながら推敲しています。手書きで勢い書きすると、文法はむちゃくちゃ、助詞も定まらず、筋も通ってない。半生状態です。だから止まらず進むんです。パソコンで打っちゃうと、まだ頭の中では固まっていないものが、一見きちんとした活字になって出てくるので、いけない。湯豆腐を掬うには箸じゃダメなんですよ。お玉じゃないと」