芥川賞・松永K三蔵さん「家族が一番です」家庭人、会社員だからこそ書けた「バリ山行」 小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。
書くことに夢中「オモロかった」
30代後半からは毎年、3月締め切りの新潮・すばる・文藝の新人賞のうち、どれか一つと9月の文學界新人賞、10月の群像新人文学賞、12月の太宰治賞の4作は応募し続けた。会社員をしながらどうやって書く時間を捻出したのだろう。 「今もそうなんですが、出勤前に勤務先近くの7時開店の喫茶店に行って9時前まで書くというのを続けています。私は山の近くに住んでいて、駅まで徒歩だと約1時間、バスの時もありますが、たいていは徒歩で行き、歩きながら構想を練って、電車に乗って店に着いたらすぐ書き始めます。だいたい1日に書けるのは原稿用紙10枚。すると20日で200枚書けることになる。もちろん、それは粗い、半分プロットのようなものなので、そこから何度も推敲を重ねます」 2021年に群像新人文学賞の優秀作をとるまで、新潮新人賞の2次選考通過が一度あったきり。そのほかは1次選考すら通らなかったそう。それでも応募を続けた、その淡々とした強い力はどこから? 「単純に書くことがオモロかったんです。一作書いて応募すると、結果はだいたい半年後なので、その前に次の作品を書き出している。だから落選という結果が出ても、その時書いている作品に夢中になっているので、そんなに気にならなかった。それはもう半年前のことなので」 小説家を目指しながらも、普通に大学に行き、就職もして、家庭を持った。すべてをなげうって小説を極めたいといった葛藤はなかったのでしょうか。 「今の時代に純文学をやろうと思ったら、兼業はスタンダードだと思います。就職する際もそれ前提で、どんな仕事なら小説を書き続けられるのか、とずっと考えていました。とはいえ仕事や家庭が小説に侵食してくることは防げない。でも、それがいいんですよね。自分の想定を超えたものに巻かれていく感覚こそが、まさに小説的。それこそが働くこと、生きることであって、その想定外に溺れる感覚が小説に生きる」