芥川賞・松永K三蔵さん「家族が一番です」家庭人、会社員だからこそ書けた「バリ山行」 小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。
小説家志望のライター・清繭子が、文芸作品の公募新人賞受賞者に歯噛みしながら突撃取材するこの連載。今回は特別版「小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。」。純文学系新人賞の最高峰である芥川賞を『バリ山行』(講談社)で受賞した松永K三蔵さんに〝芥川賞作家になるまで″について聞きました。会社員経験、そして家庭人であり続けることこそ、小説家としての強みだと話します。(文:清 繭子、写真:武藤奈緒美) 【あらすじ】 第171回芥川賞受賞作「バリ山行」 建物の外装修繕を行う会社に転職して2年。幼い娘を共働きの妻と育てる波多は、社内の付き合いを避けていた前職での反省もあり、会社の登山サークルに参加する。ある日、職人気質で孤立しているベテラン社員の妻鹿(めが)が山行に参加すると聞き、意外に思っていると集合場所に現れず、途中で合流するという。妻鹿は、登山路ではないバリエーションルートを登る「バリ山行」をしていたのだ。一人、我が道を行く妻鹿に波多は複雑な思いを抱いて――。
母から受け取った「罪と罰」
「三蔵」は母方の祖父の名前、「松永」と「K」も家族や親族に由来する。芥川賞の「受賞の言葉」では、小説家になることを母の墓前に誓った、とある。小説家でこんなに家族に言及するのは珍しい。 「それ、受賞パーティで川上未映子さんにも言われました」 小説との出会いも家族がきっかけ。中学生の時、ドストエフスキーの『罪と罰』を母に勧められた。 「衝撃を受けました。それまで世界は地平やと思ってたんですけど、縁に連れてこられ、その深淵を見せられた気がしました。世界はここまで深く、豊かだったのかと感動しました。自分もこういうのが書きたいとノートに殴り書きしたのが初めて書いた小説です。14歳やったかな」 この感動を誰かに届けられるようになりたいと、小説家を目指すように。ただ、本格的に応募を始めたのは30代に入ってからだそう。 「若い頃は完成させられなかったんです。断片的には書けるけれど一つの作品として仕上げるのが難しかった。ようやく自分の納得いくものができるようになったのは30代半ばになってからでした」