PIKO(ピコ)が築いた波:平成の一大ブームから次なるステージへ
当時、PIKOのTシャツは、ロゴやモチーフが際立つデザインが多く展開されていた。トレンドなのはもちろん、豊富な色数や、ユニセックスでカジュアルなブランドというのが、私たちの思い出にあるPIKOだ。 本来のPIKOはサーフィンだけにフォーカスしたブランドではなかったのだが、私たちの記憶にあるPIKOは、サーフボードやハイビスカスのデザインの印象が強い。 だが実際には、ハワイにはハイビスカス以外にも様々な品種の有名な花がある。 また、サーフィンもハワイの人々にとって生活の中の一部であり、伝統的に親しまれているカヌーと同様の神聖なものであると言う。つまり、KevinとWadeが大切にしていたハワイのスピリットや伝統は日本のPIKOには反映されていなかった。 「当時日本では、サーフィンをやっている人がかっこよくて、スタイリッシュと評価されていました。結局、日本におけるPIKOはサーファー向けにデザインをしていただけで、KevinとWadeは、そのことに対して、快く許諾してくれていたというのが真実です。 結果的に、彼らのスピリットはデザインに反映されず、日本人が思い描くハワイのデザインが世に広まる形になりました」
平成を越えたPIKO、令和に向かって動き出す
株式会社海援隊は、海外ブランドやキャラクターの版権を取り扱っている会社だ。PIKOとのライセンスビジネスにも20年以上携わり、その軌跡を長く見守ってきた。 そして、今までの経緯を含めて、改めて「PIKO」本来のフィロソフィーを発信することを決意。KevinとWadeの意思を汲み取り、現在もさまざまな形で発信をしている。 「ありがたいことに、PIKOに興味を持った方から海援隊と組みたいというお話はありますね。 ライセンスは、営利を目的としたビジネスなのですが、やはりブランド側の考えや世界観を尊重することが一番だと思っています。そのブランドのフィロソフィーに合ったパートナーをいろいろと探して、マッチングしていく…というのが私たちの仕事です」