PIKO(ピコ)が築いた波:平成の一大ブームから次なるステージへ
彼らのオリジナルのマインドが薄れていった、90年代後半から2000年代にかけてのPIKO
ハワイの自然と文化の魅力を発信するために立ち上げられたPIKOだが、90年代後半に日本でブレイクすると、次第にそのイメージは日本の流行であったサーフブランドとして認識されていった。 日本でのPIKOのブレイクが記憶に残っている人も多いだろう。当時は、とにかくPIKOというブランドがトレンドで、PIKOのロゴTを着てさえいれば流行に乗っている…という状況だった。
「KevinとWadeはハワイ在住で、自然のある環境の中で生活をしています。PIKOという名前やロゴも、そんな彼らの内側から出てきたものです。 最初は、ハワイで製作したものをショップに並べるところからのスタートでしたが、ブランドの立ち上げから早々に、日本でのライセンス契約が決まりました」 当時、PIKOのライセンス権は総代理店として、別の会社が主に管理をしていた。 90年代後半の日本は、サーフィンがトレンドとして再び注目を浴びていた時代だ。80年代からサーフィンは人気のスポーツだったが、90年代後半は人気アーティスト・木村拓哉がサーフィンを趣味としているところから再びサーフィンブームに火がつく。 また同時に、当時サーファーファッションを取り上げていた雑誌の『Fine』も人気になり、PIKOの認知度も一気に高くなっていった。 90年代後半のサーフィンブーム、ハワイブーム、コギャルが好んでいたハイビスカスモチーフなど、日本人好みにアレンジされたPIKOと時流の歯車が見事に噛み合った。
「PIKOが人気になっていくとともに、たくさん商品化をして、当時のトレンドを意識したデザインにアレンジしていく方向になっていきました。KevinとWadeは、日本でPIKOが愛されていることをとても喜んでいました。 しかし、PIKOがアレンジされて、人気になっていくにつれて、PIKOが持つ本来のメッセージ性よりも、日本人に好かれる流行のデザインモチーフを使った商品がたくさん出てしまったことを少し残念な気持ちで見守っていたようです」