【証言・北方領土】択捉島・元島民 長谷川ヨイさん(2)
終戦「覚えている」
―終戦のときのことは覚えていますか? 覚えてるよ。択捉の入里節にいたの。 ―ご自宅ですか? うん。(ラジオを)聞いてた。父が泣いたの初めて見た。うちの父はね、父の父、先祖はね、侍だからね、何ていうの、厳しい人だからね。そういう厳しい父にね、育った、私方。
―お父さんの出身地は? 青森です。青森じゃ、昔から貧しい土地だし、青森でも陸奥、陸奥湾あるでしょ、あの辺だからね、貧しい村だからね。だから、こんなとこにいたって、だめだよっていうので、結局、択捉行ったのね、それこそ、ねえ、裕福になるし。だけどね、島にいるころは、択捉にいるころは裕福だから、残っている兄弟たちに、色んなことをしたけど、引き揚げてきたら、誰もしてくれんかった。 ―他の兄弟は青森に残った? 残ったまんま。今でもね、母の実家がある。百何十年か経ってね、すっごい家だ。板、木が、材料が。そしてね、もうみんな死に絶えて。家どうなってんだか、来年、私行ってくる。父の家もある。 ―両親は青森で結婚? いや、島で結婚した。だから、父が先にね、島へ来たでしょ。ったら、もう嫁さんもらわんきゃないけども、島には嫁さんもらう人、ね、いなかったから、青森のあそこの娘もらうかって言って。母はね、父を知ってるの、小さいときからね、同じ村だから。そして、来て。 母が1人で後から嫁に来たでしょ。函館で船待ちしてるときね、函館の人が「姉さん、姉さん、どこさ行く」って。「どこさ行くのに船待ちしてんの」っちゅったから「わし、択捉行くんだわ」っちゅったら「んまあ、あんたに親も兄弟もいないのかい」ってくらいね、何ていうの、厳しい島。あのころは、そうなの。
1週間経たず、旧ソ連兵が入ってきた
―終戦までに択捉島で戦争を感じるようなことはあったか? はい。何だ、防空壕、あれはみんな掘ってた。でね、そんな、飛行機も来たわけでないし、ロシアが、艦砲射撃っていうのか、何かあんな音が聞こえて、ちょっと何だ、何だって言ってるうちに終戦んなって、1週間も経たないうちにロシアの人(旧ソ連兵)入ってきたから。 ―そのときのことを覚えているか? 覚えてる、覚えてる。留別のね、海にね、何ちゅうの、岩があるんだ、岸辺にね。そこに、ロシアの船が入って、そっから降りて上陸して、みんなこう入里節の方を回って、日本の司令部あったところを占領して。だから、ここへ上陸して、ずーっとここへ行くのにね、その間悪いことやってくの、兵隊。 でね、うち入ってきたらね、「アメリカ、アメリカ」って聞いた。何でアメリカなのってな。「お前たちな、アメリカに負けたのに、何でお前たち来るの」って父がもそもそ言ってんの聞こえた。そしたら、「アメリカ(兵)がいるか」って聞いてんの。自衛隊のようなおんなじトラックに乗ってね、その前にねソ連の人方に「夜もカーテン掛けないで、うちの中、全部見えるようにしててくれ」って言われて。間もなく、昼ころだね、空に向かって銃をボンボンボンボン撃ってね、この村に入ってきた。 みんなバババっと降りてね、各家に土足のまま入って、「あれ寄こせ、これ寄こせ」って、何か訳わかんない言葉で。すぐに何かタンスはひっくり返しちゃって、そして、もの持ってったんだわ。 「娘さんがいたら、いたずらされたら困るから、顔に墨塗るとか、頭の髪切るとか、そういうことね、変装してね、気つけてほしい」って言われていた。うちのちょうど姉が17だった。(あるとき)兵隊が3人くらい鉄砲持ってね、弟が屋根に上がって監視してたんだけど、実際に弟がどこ見てたんだか、兵隊が3人入ってきた。そしたらね、「来たー」って父が言ったら、姉が隠れる暇ない。島はみんな二階がなくて平屋だから一番奥のね、仏さんの部屋へ入ったんだけど、兵隊が部屋を探し始めたら、見つかって、手引っ張ってこられたんだ。