【証言・北方領土】択捉島・元島民 長谷川ヨイさん(2)
「殺せー」と叫んだ父
そしたらね、父が茶の間来たときにバッとね、姉の手引っ張ってね、後ろへ隠してね、「俺を殺してからだー」っての叫んだって、自分で。ね、3人、こう鉄砲向けてんだぞ。姉をここへかばってんのね。それでも、銃の先で、こうドン突くんだけど、父はあんた侍だから、すっごいで、「殺せー」って。そのときね、ああ、父に終戦になったときから「死ぬときはみんな一緒だ」って言われてるからね「ああ、これでわし方も死ぬんだわ」ってね、思ったのね。瞬間「いや、怖い」と思ったけどね、瞬間にね、すっとその恐怖覚めた。あら70発入ってんだって、こっからかけた銃がね、こう掛かってるでしょ。ったら、右手でバッたら、狙いつけなくたってバババって死んじゃうでしょ。3人でね。そしたらね、父がそう叫ぶもんだから、あんた、びっくりしたんだべさ。だって、何だの、かんだの言ったらね、出てった。その、ね、姉助かった。 そのあとはソ連の警備隊が入って駐屯したから、厳しくなって、通って歩く人も、いたずらしなくなった。それから、1年ずっと平和でね。
将校夫人との絆
うちの入里節辺りに入ったのは軍隊の将校の家族、2、3人いたかな。その人方のとこ、よく学校の帰り、興味あってさ、遊びに寄ったらさ、向こうの人方もほら、遠くから来てるから、寂しいから、何か子供たちでも寄れば「遊びに来い」言うて寄せて。1人の奥さんがね、なぜか私を気に入っちゃってね、「ヨイ子、ヨイ子」って。(旦那が)出張するとね、夜寂しいから、母に「泊めてもいいか」って(言ってから私を)連れてくの。 そしてね、ベッド一つかないでしょ。片っぽ大人だったし、子供でしょう。夜中ん中なったらね、ガバッと寝返ったら、毛布引っ張られたり、引っ張ったりして、兄弟みたいにね、そして泊まってね、遊んできたんだよね。いろんな面で、すんごく親切してくれた。駐屯してる兵隊たちが「何かいたずらするか」って話しているときにはちゃんと怒ってる。そしてね、優しくしてくれたよ。(私が)引き揚げるときはね、もう抱きしめてね、泣いてくれた。 ―その奥さんが? うん。私、泊まるときね、いろんな話をして聞かせんだ。(出身が)ウクライナなんだって。でね、親も兄弟もウクライナ遠いってね、会いたいってね、寂しいってね、涙ながらにね、私にね、片言で教えてくれるけど、ちゃんと会話わかんだね、私ね。 ―日本語で? いや、ロシア語だ。学校行く途中に、将校と遊んだり、隊長さんの奥さんも女の子連れて来てるから、そこへ遊びに行って。何となく、言葉、片言しゃべれるようになるね。だから、うちの前を通ってね、兵隊がね、監視所行くのにね、パン、裸のまま、こうやって持ってね、兵隊通るんだ。私がもう大分しゃべれるようになってからね、パン頂戴って言ったらね、「ハラショー、ハラショー」ってね、頭なぜてね、パンきりっとね、ナイフで切ってね、くれた。んたら、うちの父が「こじきのまねすんな」って怒られたんだ。それからやめたけどもね。そうやってね、(初めに旧ソ連兵が入ったときから)1週間ぐらい経ってから入った兵隊さん方、みんな仲良くね、優しかったよ。