【証言・北方領土】択捉島・元島民 長谷川ヨイさん(2)
そのショーラの旦那さんに、「魚とりに行って、船で行ってもいいぞ」とうちに磯船あったからね、「行ってこい」って言うんだけども、村の人方は(私の家を)「スパイだ」とか、へったくれだってな、妬んでうるさいんだ。やっぱり国が違ってもね、人の考え方とかさ、あれだからね、やっぱりショーラもそういう意地悪する人方嫌いだってね、仲良くしなかったな。 私そのころ、ウクライナなんて、どこだろなんて考えもしない。今、わかってさ、いやあ、行ってみたいねえって。だけど、あんた、私が13んとき、あの人23もなってたら、もう90になって、あんた、死んでるわと。ねえ。 行ってみたいねって言ってるとき、去年、一昨年、色丹に自由訪問で行ったときね、校長先生の奥さんが、どこで昼ご飯ごちそうになったんだ。そのときね、いろんな話してたらね、孫がね、ウクライナから来てんだってさ。娘がウクライナにいるから。あのころ、ちょっと、ロシアと何か紛争かな、あのときだったから、すごく悩んでね。孫を国後に呼んだんですと、東古潭にさ。そして、今、札幌の学校に行ってんだけど。 今度また自由訪問で行ったときに、あの奥さんに会いたいねと思ってさ、校長先生のね。やっぱり親切にしてくれてさ、私、めがね忘れてきたの。すったら、ちゃんとね、波止場まで、届けてくれた。うん、優しい人だったね。だから、そういう優しくしてもらうからね、やっぱり何か優しくしたくなっちゃうべな。だから、今でも、ショーラに会いたいなってね。あの人も兄弟と離れてるから、私を妹みたいにね、かわいがってくれたもん。 ―ショーラさんって名前? イワノフ・ショーラっていうの。 ―イワノフ・ショーラさん。ウクライナ出身で、ロシアの将校さんと結婚して、択捉に来ていた? そうそうそう、来ちょった。ね。それで、学校の帰り、寄って歩かなきゃいいけど、私なんか寄って歩いたのよ、みんな何か珍しいからね。誰も「来んな」なんて怒られないで、ね、優しく接待してくれて。だから、その気になって寄って歩くわけよ。そしたら、ショーラは「ヨイ子、ヨイ子」でさ、仲いくなり、妹みたいにさ、かわいがってくれてな。あの人方なんかね、冬なってもね、靴下履かないんだよ、あんた、素足で。そして、フエルトみたい靴に、何かこう足だけな、きりまいて履いて。ねえ。島の人方、もうスカートは履いたけどさ、あんな冬にあんな格好しないわな。