【証言・北方領土】択捉島・元島民 長谷川ヨイさん(2)
食べるもの違うもんね。だから、あの人方、食べてるね。そのジャガイモね炒めて食べる、カンセールってあったね。それが日本人食べるとね、やっぱり体に合わないから、じんま疹出て。うちの姉は、もうロシアおっかないから、早々に嫁に行ったのさ。子どもできたんだけど、そのカンセール食べて、じんま疹出て、子どもにおっぱい飲ますから、子どもに移って、じんま疹出て、そして、今度、何ていうの、リンパ腺が腫れて、脳膜炎っていうのか、病院ないからな、そして、あんた、死んだの。 カンセールはコンビーフとおんなじだ、日本のコンビーフと。ほんとにね、終戦なってね、そのおっかない目に遭ったけどね、あと、優しかった。 ―ショーラさんとはその後、会う機会とか、手紙のやり取りあったんですか。 ない、ない。
今でも花火大会が嫌
今でもね、トラックに乗ってね、銃ボンボンボンボン撃ってきたね、あの音がね、花火大会行くと耳に残ってるから、私、花火大会行かない。ね、あの日、バッと思い出しちゃう。もうね、50年くらいもね、夢見るとね、何の夢も見ないでそんな夢見た。暗いね、島は街灯もないし外行ったら暗いしょ。その中、私がピストル持ってな、逃げてな、何かあれしてる夢ばっかり見た。今、見なくなった。 ―威嚇のための発砲? そうそうそうそう。それだけ、だから、その音がいつまでも耳に残って、あの花火大会のバンバンバンバン、あれと同じ、似てるから、嫌だった、私。だから、花火大会、いまだに行かない。