「死ぬこと」を命じられた若者たち…指名された「最初の特攻隊員13名」が「志願」を強制されるまでの「あまりに悲壮なやりとり」
不承不承の志願
反応がにぶいのに業を煮やしたか、ついに玉井が叱りつけるような大声で、 「行くのか、行かんのか!」 と叫んだ。 「その声に、反射的に総員が手を挙げた」 と、浜崎勇一飛曹は回想する。井上武一飛曹は、 「志願を募るというなんてことは一言も出なかった」 とも回想している。それは、形の上では「志願」だとしても、不承不承の志願だった。 ともあれこうして、全員が志願したことになったから、あとはいつ誰を指名するかは、玉井の肚一つである。夜半を過ぎた頃、甲飛十期生たちが重い足取りで宿舎に戻って1時間ほどが経った頃、自動車のライトが近づいてきて止まった。 「来た!」 と、誰かが低い声で言った。車から降りてきたのは二〇一空の要務士である。 「ただいまから特攻編成を通告する」 要務士は、明日20日の特攻編成を読み上げ、体当り攻撃隊員12名が指名された。
特攻隊初陣の指揮官
〈以上のような状況で、体当り搭乗員の主体である列機の方は問題なく決まつたが、次は指揮官を誰にするかである。(中略)この純真無垢な搭乗員を誰に託せばいいか?玉井副長との間に相談が始まつた。私(注:猪口参謀)は云つた。 「指揮官には海軍兵学校出身のものを選ぼうじやないか」〉 と、まるで他人事のように『神風特別攻撃隊』には書かれている。職責が違うからやむを得ないのかもしれないが、この場にいた猪口参謀、玉井副長、指宿大尉の3人とも、自分が第一陣の陣頭指揮にあたる気概があったとは認められない。 この時点で、マバラカットにいた二〇一空の戦闘機指揮官は、戦闘三〇五飛行隊長・指宿大尉、戦闘三一一飛行隊長・横山大尉のほか、海軍兵学校出身の分隊長級の大尉は、戦闘三〇五飛行隊分隊長・平田嘉吉大尉、戦闘三〇一飛行隊分隊長・関行男大尉の2名しかいない。実際には平田か関の二者択一で、結局、玉井が選んだのは新婚で母一人子一人の関であった。 甲飛十期生に体当り攻撃への志願をさせた玉井は、従兵に関を士官室に呼ぶよう命じた。 関は、そのとき腹をこわして2階の一室のベッドに寝ていた。もちろん、つい先ほど、体当り攻撃隊の編成が決まり、隊員の志願を募ったなどとは、そのときの関には知る由もない。