「死ぬこと」を命じられた若者たち…指名された「最初の特攻隊員13名」が「志願」を強制されるまでの「あまりに悲壮なやりとり」
始まる悲劇、終わる命
長い一夜が明けた。 昭和19年10月20日の朝、空は曇っている。士官室で朝食が終わると、玉井副長が大西のところにやってきて、 「揃いました」 と言った。決死隊が決まったのだ。大西に随って、門司は士官室を出た。午前10時。 二〇一空本部の前庭の南側に、北に向かって20数人の搭乗員が並んでいる。関大尉と、昨夜、玉井の説得に手を挙げ、指名された甲飛十期の搭乗員12名、残りはこの朝になって搭乗割が発表された、体当り機を突入まで護衛し、戦果を確認する直掩機13名である。 関は、列の右側、指揮官の定位置に立っていた。 搭乗員たちの正面に置かれた指揮台代わりの木箱の上に大西が立つと、玉井が「敬礼」と号令をかけた。飛行服、飛行帽姿に身を包んだ搭乗員たちが、いっせいに大西に注目し、挙手の敬礼をした。猪口参謀、玉井副長、門司副官と「日本ニュース」の稲垣浩邦報道班員の4名が、大西の後ろで侍立している。
大西長官の魂の訓示
大西は、きっちりと答礼を返すと、搭乗員たちを見回してから、重い口調で訓示を始めた。この訓示には原稿がなく、大西の言葉は空中に消えて正確な記録はないが、門司の記憶では次のようなものであった。 「この体当り攻撃隊を神風(しんぷう)特別攻撃隊と命名し、4隊をそれぞれ敷島、大和、朝日、山櫻とよぶ。日本はまさに危機である。この危機を救いうるものは大臣でも、大将でも軍令部総長でもない。それは、若い君たちのような純真で気力に満ちた人である。みなはもう、命を捨てた神であるから、何の欲望もないであろう。ただ自分の体当りの戦果を知ることができないのが心残りであるに違いない。自分はかならずその戦果を上聞に達する。一億国民に代わって頼む、しっかりやってくれ」 訓示しながら大西の体が小刻みにふるえ、その顔が蒼白にひきつったようになるのが門司の目にもわかった。「死」を命じるのは、大西にとってももちろん初めてのことで、その姿はいつもの大西とは違う、尋常ではない雰囲気を発していた。整列した搭乗員たちの顔は少年らしさを残していて、表情からその心中までうかがい知ることはできない。稲垣カメラマンも、撮影するのを忘れたかのように直立したまま、大西の言葉を聴いている。 「私は、目の奥がうずきましたが、涙は出ませんでした。甘い感激ではなく、感情がもっと行きつくところまで行ってしまったような心境。トラック島空襲以来、これまで敵機動部隊攻撃に出撃した艦攻隊がほとんど全機還ってこなかったなどの現実を見てきたから、このときはひどいとも、残酷なことをするとも思いませんでした。最前線にいて、毎日何人かの仲間が戦死してゆく現実に直面していた搭乗員たちには、必死必中の体当り攻撃に手を挙げる精神的な下地があったのではないでしょうか」 と、門司は回想する。