韓国人が北朝鮮で働いた一年間、対話の積み重ねで生まれた理解の種―キム・ミンジュ『北朝鮮に出勤します―開城工業団地で働いた一年間』武田 砂鉄による書評
2018年、南北首脳会談が行われ、当時の文在寅(ムンジェイン)大統領と金正恩(キムジョンウン)総書記が一緒に軍事境界線を越える様子が何度も報じられた。だが、そこから融和が進んだわけではなく、現時点での評価としては、精いっぱいのパフォーマンスだった、くらいだろうか。 『北朝鮮に出勤します 開城(ケソン)工業団地で働いた一年間』(キム・ミンジュ著、岡裕美訳・新泉社・2200円)は、その数年前、15年から16年にかけて、北朝鮮南部、韓国との軍事境界線付近にある経済特別区に設置された「開城工業団地」で働いた韓国人の記録だ。情勢悪化に伴い、16年に操業停止してしまったが、共に働いた人たちとの貴重な交流が描かれている。 給食施設の管理業務を担当したが、十分な食料や物品があるわけではない北朝鮮の人々を、まずは疑った目で見ていた。だが、南のものが北に流れ込むことで、こちらの生活を想像してくれるようになるのではないか、との期待を抱くようにもなる。 北朝鮮の労働者は、「一人では絶対に南の人と同じ空間にいてはならない」という暗黙の了解を守っていた。彼らは韓国の悪い情報ばかり得ており、セウォル号事故などの国家が絡む不祥事を口にしてけん制してきた。職員に対して「バッジをつけてますね」と言うと、「私たちの首領様、将軍様ですよ。あの方々を心臓の近くにお迎えするのです」と返ってきて緊張が走る。 ある日、職員が仕事中に指を切り、化膿(かのう)してはいけないからと薬を塗ってあげようとしたものの、班長の許可なしに塗れない。死角になっているところにこっそり呼び出し、急いで薬を塗ってあげた。歯痛で顔をしかめている人がいても「この程度の歯痛は“革命精神”で乗り越えられる」と言われてしまう職員たちと、交流の糸口を探していく。 考え方は違う。違いはすぐに埋まらない。でも、同じ場所で働き、対話を重ねれば、「一粒の種」になる。向かい合って話す。笑う。尋ね合う。やはりこの、シンプルで真っすぐな積み重ねが必要なのだ。 [書き手] 武田 砂鉄 1982 年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年秋よりフリーライターに。 著書に『紋切型社会』(朝日出版社、2015年、第25回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)、『芸能人寛容論』(青弓社)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』などがある。 [書籍情報]『北朝鮮に出勤します―開城工業団地で働いた一年間』 著者:キム・ミンジュ / 翻訳:岡 裕美 / 出版社:新泉社 / 発売日:2024年08月6日 / ISBN:4787724002 毎日新聞 2024年8月24日掲載
武田 砂鉄
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