「細川護熙」元総理が語った「白洲正子」の素顔 “魔法使いのおばさん”は祖父に「トノサマ、あれはニセモノでしょう」と迫った
1998年12月26日、随筆家の白洲正子さんが死去した。1910年1月7日に樺山伯爵家の次女として生まれた正子さんは、米国留学後に実業家の白洲次郎さんと結婚。著書の出版は戦後に本格化し、能や骨董、文学といった日本文化に深く分け入った名著を次々と発表した。自身のテーマを追い、日本中を駆け回った「韋駄天お正」の生き方に憧れる人も多く、人物像やライフスタイル、次郎さんとの関係性など、正子さんが題材となった出版物やテレビ番組もすでに定番となっている。 【写真】芸能界きっての美男美女がずらり…「白洲次郎・正子」を演じた俳優たち そんな正子さんを「魔法使いのおばさん」と呼べるのは、おそらく日本でこの人だけだろう。元内閣総理大臣、現在は芸術家の細川護熙さんである。2007年の正子さん生誕100年を記念したインタビューでは、正子さんの“修行時代”から各地を旅した晩年まで、間近で見ていたその姿を語っている。護熙さんの祖父に芸術の教えを乞うていた、正子さんの“修業時代”とは――。 (全2回の第1回:「週刊新潮」2010年1月28日号「『細川護熙』元総理が語る『韋駄天お正』の知られざる素顔」をもとに再構成しました。文中の役職等は掲載当時のままです。敬称一部略) ***
「トノサマはお二階かしら」
黒のサングラスにベレー帽、そしてハイカラなマント。正子さんが細川家に現れると、まだ子どもだった私は「魔法使いのおばさんが来た」と言ってはしゃいだものです。昭和25(1950)年頃、正子さんのようにモダンな服を着こなす女性はほとんど見かけなかったし、子どもの私には彼女がどんな人なのかわかるはずもありません。 だから、私にとって正子さんは得体の知れない“魔法使い”みたいな感じでした。そんな私に対して、正子さんは独特の鼻にかかった物言いで、「あら。煕ちゃん、いたの。こんにちは。トノサマはお二階かしら」と話しかけられたりしました。話し方がとても印象的でしたね。これが、正子さんに対する私の最初の記憶です。 《こう語るのは、現在は陶芸などのアーティストとしても知られる元総理の細川護熙氏。“トノサマ”とは、細川氏の祖父で、肥後熊本細川家16代当主・護立(もりたつ)氏のことである。 文化・芸術に関して幅広い知識を持ち、多くの美術品を収集していた護立氏のところには、志賀直哉、武者小路実篤といった文豪や、画家の横山大観、果ては読売巨人軍の川上哲治元監督まで、多彩な人物が集い、文京区目白台の旧細川邸は芸術家達のサロンとなっていた》