「避難所には行きたくない」奥能登で被災したろう者が経験した「壁」──支援ニーズの掘り起こしとその先の対応 #災害に備える
3日かけて、ろう者の自宅や避難所を訪ねてまわった。無事であることは確認できたが、自宅が半壊・全壊で住めなくなっている人が多かった。 穴水町に暮らす兄弟は、外出時に被災。自宅に帰ると玄関の扉がなかなか開かず、やっと開けて中に入ると、家じゅうの物が散乱していた。車中泊をしたり母家の脇の倉庫で過ごしたりしていたが、灯油が尽きて暖が取れず、寒さで震えていた。沖田さんは避難所へ行くことをすすめたが、「避難所は聞こえる人ばかり。孤独な思いをするぐらいなら行きたくない」と拒んだ。 能登町の一人暮らしの女性は、近所の人と一緒に避難所に行っていたが、手話で話せる人はおらず、かなり気落ちしているように見えた。 石川県聴覚障害者協会で業務執行理事を務める藤平淳一さん(51)は、被災したろう者の状況をこう話す。 「奥能登の特徴として地域のつながりが強く、近隣の方の支援をいただいて一緒に避難所へ行ったり、食事の時間だよと声をかけてもらったりということはあったようです。ただ、問題は、運営からの情報保障がなかったことです。奥能登のろうあ者は、それぞれ避難所でぽつんと1人、情報の壁を抱えて避難生活を送っておられたのです」
「みんなと一緒に」聞こえない仲間のいる避難所へ
藤平さんらは、県に対して「被災したろう者をできるだけ1カ所に集めてほしい」と要望した。 県がいしかわ総合スポーツセンター(金沢市)に1.5次避難所(2次避難先に移るまでのつなぎの施設)を開設すると、障害福祉の担当部署に掛け合って、何かアナウンスをする際は必ず視覚情報も掲出することや、手話通訳者が常駐する態勢を整えてもらった。 「聞こえない人たちが、必要な時に自分の言葉(手話)で話して安心を得られる環境は、非常に大切です。ひとつの例をお話ししますと、輪島市の、あるろうの方が、近隣の小学校に避難されていました。その方は、野々市市の2次避難所に移るという話があったのですが、『1.5次避難所には聞こえない人たちが集まっているよ』とお伝えすると、『みんなと同じ避難所に行きたい』とおっしゃいました。今回、被災したろう者の支援にあたってみて、聞こえない仲間がいる避難所を選びたいという方がたくさんいたと感じています」 その後、白山市が2次避難のろう者を受け入れることになり、現在の施設に移動した。穴水町の兄弟も合流した。 一方で、藤平さんらがリーチできない人たちもいる。例えば、ろう者でも協会と接点がなかったり、手話を使わない難聴者だったりする人たちだ。奥能登で身体障害者手帳を持つ聴覚障害者約270人のうち、協会が把握するのは50人ほどだという。 能登半島では、昨年5月にも大きな地震があったが、その際、被害の大きかった珠洲市で、藤平さんらは市と連携して聴覚障害者の支援にあたった。市の職員と保健師の戸別訪問に、手話通訳とろうあ相談員が同行し、困りごとを聞き取って解消につなげた。 しかし今回は被害の甚大さもあってそのような連携ができなかった。 「残存聴力がどれくらいあるか、読話が得意か、筆談はできるか、文字起こしアプリを使ったことがあるかなど、聞こえない・聞こえにくい人のコミュニケーションは一人ひとり違います。自治体と連携できれば、困っている方を見つけ出して支援できるのですが、かなわない状況です」 能登半島では、これまでにも大きな地震が繰り返し起きていたことから、藤平さんらは各自治体に、聴覚障害の特性に合わせた福祉避難所(障害者や高齢者など、配慮が必要な人を受け入れる避難所)の設置を求めてきたという。藤平さんはこう話す。 「昨年5月の地震を受けて、やなぎだハウスに福祉避難所的な機能を持たせられないかと考え、独自の災害対策マニュアルの作成を進めていました。障害特性に合った対策を、全国の市町村の防災計画に盛り込んでいっていただきたい」