難航した救援 能登地震発生から2カ月、自衛隊が果たした役割は――派遣を担当する参事官が明かす
1月1日に発生した能登半島地震は特殊な地勢に加え、道路が破損し土砂崩れで寸断が生じるなど救援活動は難航した。発生から約2カ月経った今も自衛隊は活動を行っている。災害派遣された自衛隊に対し、ネット上では「なぜもっと大量に投入しないのか」「逐次投入だ」といった批判の声も見られたが、どのような方針で救助態勢を敷き、どのような活動をしたのか。東日本大震災や熊本地震との状況の違いは。自衛隊の災害対応を担当する防衛省参事官に話を聞いた。(文・写真:ジャーナリスト・小川匡則/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「逐次投入」ではありません
「過去の大災害のときと比べても、能登半島地震はものすごく素早い対処ができたと感じています」 こう語るのは、防衛省統合幕僚監部の田中登参事官だ。能登半島地震を受けて、自衛隊派遣のために奔走した一人である。対外調整がメインの仕事で、統合幕僚長に状況を報告し、それに対する指示をもらい、現場にオペレーションを伝える。官邸等との調整や、大臣に報告を上げる役割も担う。田中さんは災害対処と国民保護を担当しており、能登半島地震の対応と並行して、広島県や和歌山県の山林火災、岐阜県の大雪など各地で発生する災害にも対応している。 「『逐次投入だ』という批判もありましたが、それは違います。投入すべき人員、装備品はこれまでになく早く入ることができました。発生翌日から陸海空自衛隊による統合任務部隊を約1万人の態勢で編成し、初動は約1000人を投入しました。そこから約2000人、約4000人、約5000人、そして最大で約7000人。現地の状況を把握しつつ適切に現地部隊を連続増強して対処しました。能登半島という狭小なエリアに、発災翌日には1000人、その翌日には2000人が入っている状態を想像していただきたいです」
地震発生後 即動き出した自衛隊
1月1日16時10分ごろ、能登半島で最大震度7の地震が発生。都内の自宅でくつろいでいた田中さんは大きな揺れを感じると、すぐさま着替え始めた。頭の中は震災対応に瞬時に切り替わり、東京・市ヶ谷にある防衛省に直行した。同じように、防衛省には続々とスタッフが集まってきたという。 16時11分には官邸対策室が設置され、16時15分には総理大臣から被害状況の把握・被災者の救命等の指示が出た。16時45分には石川県から自衛隊に災害派遣要請が出された。関係各所の動きは早かったが、一方で、自衛隊はそれとは関係なくすぐに動き出していた。自衛隊では、震度5弱以上が観測されると自動的に情報収集を行う態勢がとられているのだ。地震発生から約20分後に北海道の千歳基地から航空自衛隊F-15 戦闘機2機が現地に飛び立った。 輪島分屯基地の山頂地区では法面(盛り土などにより造られる人工的な斜面)が大規模かつ複数箇所にわたって崩落している様子が確認された。そうした被害状況は、即座に防衛省本省に報告された。 「能登半島先端部に甚大な被害が及ぼされ、道路がほとんど寸断されてしまったことで陸路でのアクセスは非常に困難でした。能登半島には空路の拠点として『のと里山空港』がありますが、滑走路にひびが入って段差が発生するなどして飛行機も使える状況になかった。また、能登には輪島港や珠洲市の飯田港もありますが、港付近の海底が断層のずれで盛り上がってしまい、船も近づけませんでした」