「避難所には行きたくない」奥能登で被災したろう者が経験した「壁」──支援ニーズの掘り起こしとその先の対応 #災害に備える
これまでの災害で、被災したろう者・難聴者は、食事のアナウンスが聞こえず、みんなが並んでいるのを見てあわてて並ぶ、ふだん飲んでいる薬が切れかけていると言ってもわかってもらえない、行政手続きや生活に関わる情報が入手できないなど、避難所生活に苦慮してきた。 また、情報保障というと、聞こえる人は、文字情報を掲出したり筆談をしたりすればよいだろうと考えがちだが、手話を第一言語とするろう者には、筆談のみで込み入ったことを伝えるのはストレスがかかるうえ、日本語の読み書きが苦手な人もいる。だから手話通訳者にいてほしいのだが、その重要性を聞こえる人になかなかわかってもらえない。 そういった気詰まりを見越して避難所に行かない人も少なくない。そうなると、支援の手が届かなくなってしまう。 今回の地震で被災して、白山市の2次避難所で暮らすろう者にも、1次避難所に行かず自宅にとどまった人がいた。
避難所でぽつんと一人、「情報の壁」
被災したろう者の支援には、当事者団体が果たした役割が大きかった。 沖田さんが勤務するやなぎだハウス(2017年開所)は、「奥能登ろう者の集い」を前身とする。2007年の能登半島地震をきっかけに、孤立しがちだった奥能登のろう者のために、手話で話せるコミュニティーをつくろうということから始まったものだ。 現在、奥能登ろうあ協会の会員は15人。沖田さんを除いて全員60歳以上で、平均年齢は75歳。80代の人もいる。 沖田さんは、地震が起きた1月1日、正月休みで岐阜県の実家にいた。「まずびっくりして。とにかく落ち着こうと自分に言い聞かせました」 職員のグループLINEで、職員間で「大丈夫ですか?」とメッセージを送り、そこからすぐに、利用者の安否確認が始まった。沖田さんも「大丈夫ですか?」「けがはないですか?」とメッセージを送った。返信はなかなか来なかった。 「やなぎだハウスの利用者の方は、スマホやLINEを使いこなせる方ばかりではないんですよね。スマホを自宅に置いて避難した方も多かったのです」 翌2日に金沢に戻り、3日に車で奥能登へ向かった。道路状況が悪く、ふだんは2時間のところ、7時間かかった。渋滞で止まっている間も余震がきて、身のすくむ思いがした。