なぜ亀田3兄弟は控訴審でも約1億円の倍増以上の賠償額で勝訴したのか…財政破綻のJBCが“解散”の衝撃事実も判明
亀田裁判は、2014年にJBCが所属ジムの会長とマネジャーのライセンス更新を認めなかったことで自動的に亀田3兄弟のライセンス更新が許されず、事実上の“国外追放”となった一連の処分を「違法」と訴えたものだ。三軒茶屋に開設したばかりの立派なジムが閉鎖に追い込まれ、「1億円以上の赤字」(興毅氏)との経済的損失をこうむり、結果的に興毅氏、大毅氏の2人が現役引退することにもつながった。 発端は、2013年12月に当時のIBF世界スーパーフライ級王者、大毅氏とWBA同級王者、リボリオ・ソリスの間で行われた2団体統一戦。ソリスが計量オーバー。ルールミーティング後、IBFのスーパーバイザーであるリンゼイ・タッカー氏が「亀田が負けたらIBF王座は空位」と発言。報道各社は、それを受け「負けたら空位」と報道し、試合は1-2判定で大毅氏が敗戦した。 だが、タッカー氏が緊急会見を開き「負けても王座保持」と前言を撤回したため、大混乱に陥り、亀田ジムとJBCに対し批判が巻き起こった。JBCは、これを問題視して2か月後に処分を発表、亀田3兄弟は、活動停止に追い込まれ、その後、ジム移籍申請を続けたが、ことごとく却下された。 裁判所は、このJBCの処分を一審、二審で続けて違法と認めた。ルールミーティングで確認されていたのは、「負けても防衛」だったのか「負けたら空位」だったのか、が二審では争点となったが、TBS側が用意していた通訳の証言などもあり、結果的にJBC側の運営、管理の不備が明らかにされることになった。 永田理事長は、この日、「(JBCが下した処分は)違法ではないと思っている。亀田3兄弟に処分を科したものではない。選択肢はいくつかあった。たとえば、プロモーターを変える他、ジムを移籍すれば日本で試合ができた」と説明したが、決定的な新しい証拠がない限り控訴に無理があったのかもしれない。 二審では途中、和解勧告があったが決裂した。 亀田側は、「きちんと賠償もしていただき、加えて評議員、理事、本件にかかわった人の辞任を求めた。辞任については受け入れてもいいと微妙な状態までなったが、賠償については具体的な金額をつめるまでいかなかった」と言い、JBC側は「人事的な請求には応じられないし(和解提案された)金額が1億1500万円だったので敗訴判決と同じ」と、和解に至らなかった理由も少し食い違っていた。 興毅氏は、ここまでの8年間を振り返り、途中、目を潤ませた。 「思い出したくもない。僕は、まだ28歳で、大毅は25歳。悔いがないといえばウソになる。あまりこういう事を言うのは好きではないが、振り返ると苦しかった。関係者とも(移籍話などを)話したが、どんなことをしても試合ができないようにされてしまった。厳しかった。亀田家のイメージって、どうだったんですかね? どこにいっても亀田が悪いという風にね。メディアの力は凄いと思うと同時にやるせない気持ちで当時はいっぱいだった。あれから時も流れて、今でこそ少しずつ、あれはパフォーマンスだったとか、いいやつだったか。オヤジもYoutubeでおもしろいおっちゃんやと、少しずつイメージが変わっているが、あの時についたイメージはなかなか戻るものではない。この裁判ですべての気持ちが晴れるわけでもない。よく負けずに戦ってこれたと思う。動かないと何もはじまらなかった」 それは切実な心の声だった。