ドムドムハンバーガー・藤﨑 忍社長の“最愛レストラン”。社長が月イチで通う向島の焼肉店へ【前編】
人生が変わったあの店の一皿、忘れられないあの日のごはん。人生の節目には必ず心に残る店の食事がある――。日本人の胃袋を支える“食”にまつわる仕事をしている社長さんたちに、自身の経歴や自社の歴史を振り返りつつ、いま通っているお気に入りの店と料理についてのエピソードを語ってもらいます。 『焼肉 赤煉瓦 向島店』の外観を見る 第1回目は、あのドムドムハンバーガーを再建したことで有名な藤﨑 忍さん。51歳でドムドムハンバーガーの親会社に入社後、わずか9ヵ月で代表取締役社長に就任し、「手作り厚焼きたまごバーガー」「丸ごと!!カニバーガー」「今夜は まいたけバーガー」など、独特すぎるヒット作を連発。その活躍ぶりが多くのメディアに取り上げられ、一躍時の人となりました。
藤﨑 忍/1966年東京生まれ。大学卒業後、21歳で結婚し専業主婦に。39歳の時に夫が病に倒れ、SHIBUYA109のアパレルショップに就職。5年後に退職し、2011年に東京・新橋に居酒屋「そらき」を開店。2017年にドムドムフードサービスに入社し、ドムドムハンバーガーの新商品開発などに邁進。2018年、同社の代表取締役社長に就任 藤﨑社長はもともと専業主婦。墨田区議を務めていた夫の繁武さんが病に倒れたことをきっかけに、39歳のときにSHIBUYA109のアパレルショップ店員として働き出し、44歳で新橋に居酒屋『そらき』をオープン。そして、ドムドムハンバーガーを買収したレンブラントホールディングスからスカウトを受けて入社したのが51歳。入社から9ヵ月ほどで社長に就任しました。 一方で、児童養護施設の支援活動をライフワークとし、休む間もなく飛び回る彼女のパワーの源となっているという、東京・向島にある『焼肉 赤煉瓦 向島店』(以下『焼肉 赤煉瓦』)に案内してもらいました。
開業時から月イチで通う思い出いっぱいの焼肉店へ
――今日はありがとうございます。いつからこの店に通われてるんですか? 藤﨑 忍(以下、藤﨑):『焼肉 赤煉瓦』がオープンする前、店主の睦さん(蜂谷 睦さん)のおじいちゃんの代からお付き合いがあります。睦さんが引き継いでここをオープンしたのが23年前。私が25、26歳のころです。家族みんな肉好きなので、以来月1回は来店しています。どのメニューをいただいても、とにかくおいしいんですよ。 ――藤崎さんの人生とともにこのお店があるわけですね。 藤﨑:まさにそうですね。ここには亡くなった父も母も夫も来たことがあります。みんな来ているので、私にとって本当に思い出深いお店。今は息子と孫、同居している叔母たちと一緒に来ています。 ――藤崎さんは生まれも育ちも向島ですよね? 藤﨑:そうそう、今もここから歩いて3分ぐらいのところに自宅があるんですよ。父は地方議員、母は家業を継いで煎餅屋を営んだり、不動産業や保険の代理店をしたりしていましたが、商売がうまいタイプではなく、金銭的には苦労していたみたいです。 私が子どものころの向島は、町内単位でさまざまなリクリエーションがあって、ソフトボール大会があったり、キャンプやスキーに連れて行ってもらったりしました。 隣の家の息遣いが聞こえるようなコテコテの下町でしたが、今はスカイツリーができて新しいマンションが建ち、インバウンド客向けのゲストハウスも増えて雰囲気が変わりつつありますね。とはいえ、今でも歩いていると気軽に声をかけてもらえるあたたかい町です。