ドムドムハンバーガー・藤﨑 忍社長の“最愛レストラン”。社長が月イチで通う向島の焼肉店へ【前編】
藤﨑:息子は戦友みたいな感じなんですよね。夫がある日突然倒れて左半身が麻痺して介護生活になり、そして亡くなって……私の苦労をずっとそばで見てきたし、息子に相談する機会も多かったので。 彼が高校のとき、当時打ち込んでいた野球の練習着は自分で洗っていたんですが、その日は疲れていたんでしょうね。「お母さん、干しておいて」と頼まれたんです。「いいよ」と言ったものの、私も仕事で疲れていて……朝になって悲鳴。洗濯機のなかに入れっぱなしで干していなかったんです。仕方がないから「授業中に干しておけば放課後までに乾くよ」とハンガーを持たせたんです。以来、息子の友達からは「ハンガーのお母さん」と呼ばれてました(笑)
ドムドムハンバーガーの社長になった理由は?
――みんな知りたいと思うんですが、大変な経験をしながらも、成功に至った秘訣はどこにあるんでしょうか? 藤﨑:SHIBUYA109のアパレルショップで働いていたとき、5年で年商を2倍にしましたが、もともとは「年商を倍にしよう」なんてことは考えてませんでした。そのときに気がついたこと、たとえば「試着室のカーテンが汚れているから自分で縫っちゃおう」とか「在庫のダンボールが丸見えなのはよくないからカバーを作ろう」とか、そんなことの積み重ね。目の前のハードルを一つ一つ越えてきただけなんです。 新橋に居酒屋『そらき』を開業したのも、食べていくため。当時、就職も考えたんだけど、44歳で何のスキルもない私が、当時、大学生だった息子と病の重い夫を養うだけのお給料はもらえないだろうな、と。だから銀行でお金を借りて起業するしかなかった。目の前のことに夢中になっていたんです。 ――ドムドムハンバーガーの親会社に入社後、役員にするよう直談判したそうですね。行動力がすごいです。 藤﨑:それも必要に迫られてのことですね。2017年に入社して店長からスーパーバイザーになりましたが、1期目の決算が大赤字で。このままじゃ企業再生できないんじゃないかと不安になって「意見を言える立場にしてほしい」と直談判したんです。それがまさか社長になるとは思ってもいませんでしたが。 とにかく、いつも「今やるべきことは何か」を考えてるだけ。試着室のカーテンを縫ったころから、今も仕事に対する姿勢は変わってないですね。ただ、今は見なければいけないものが増えてきて、一つ一つになかなか時間を費やせない。そのことが一番不安。「この向き合い方で大丈夫なのかな」といつも悩んでいます。不安に打ち勝つために、ここの焼肉でパワーチャージしてるって感じかも。 蜂谷店主:政治家の奥さんから居酒屋の女将さん、今は社長でしょ。常連さんだった忍さんが、急にテレビや雑誌に出るようになってびっくりしましたよ(笑)。「忍さんって何者なの?」とほかの常連客に聞かれたこともありますし。 藤﨑:でも中身は変わってないでしょ? 蜂谷店主:人間的にはまったくお変わりないですね。