本当の自分なんて、ない。東洋哲学に学ぶ「自分らしさ」との新しい向き合い方
よりどころがない時代だからこそ、東洋哲学がみんなをラクにする
── 東洋哲学についてまとめた著書が、SNS上でかなり話題になりましたよね。ご自身ではこの反響をどのように捉えていますか。 社会が刻々と変化していく中で、「よりどころのなさ」がますます大きくなっているということは、今回の反響に十分に関係していると思います。
── よりどころのなさというのは、どういうことでしょうか。 少し前なら、自分の目標をしっかりと持って自己研さんして、順調にキャリアを積んでいけば安泰な暮らしを送れるといった感じに、人生の見通しを立てることができましたよね。僕が生まれたのは高度経済成長期の余韻が残る頃(1988年)ですが、自分も幼い頃から「公務員になれば食いっぱぐれることはないから!」といわれて育ってきました(笑)。でもAIの進化が著しい今は、もはやどんな職業であっても将来確実に存在するとはいえないように感じています。 そんな不安定で流動的な社会の中では、むしろ確実性なんてないほうが最高だ!という東洋哲学的なマインドを持っていた方が楽しく生きることができるんじゃないかと、個人的には思うんです。何も「よりどころ」はないんだけど、それはそれで良いじゃん?って。自分が思い描くとおりの自分でいつづけることにこだわらずに、周りの環境に身を任せ、変化していってもいい。読者もきっと東洋哲学のそういった部分に共感してくれているんじゃないかなと思います。 ── 数千年前の教えが今を生きる人たちを支えている。そう考えると面白いですね。 中国の哲学者で有名な荘子が生きた春秋戦国時代とかも、本当に戦争が多かったですからね。東洋哲学自体が、よりどころのない時代に生まれたものだから、今を生きる人の心境とうまく共鳴する部分があるのかもしれません。
── 東洋哲学を学んで、しんめいPさん自身には何か変化は起きましたか? 以前よりも、動じなくなりましたね。ちょうど本を出版した直後に身内が脳出血で倒れてしまったんです。連絡を受けて病院へ車で向かう道中、もちろん不安や後悔、祈りなどさまざまな感情が渦巻いてはいたのですが、一方で「人はいつか死ぬ」という事実も心の片隅で受けいれていたんです。少し冷たく感じるかもしれないですが、避けようがないことに対してこういった冷静な視点を忘れてしまうと、無闇に自分を責め続けてしまうことになりかねません。変わらないものがひとつもないこの世の中においては、自分が絶対的に「よりどころ」にしているものも、いつか崩れて消えてしまいます。それは避けられないけど、東洋哲学を学ぶことで、自分が信じるものが崩れた時に、自分の心も一緒に崩れないよう冷静な視点に立ち帰ることはできるようになりました。