民主主義を機能させられないメディア 必要なのは“マスコミ”の新発明?
私たちは日々、新聞、テレビ、ネットなどから膨大なニュースを受け取っています。インターネットの登場で、量だけならかつてないほどの規模に膨らんでいるといえるでしょう。一方でここ数年、「民主主義」の機能不全や限界論が語られることが増えてきました。慶應義塾大学SFC研究所の上席所員で起業家の岩田崇氏は、民主主義がうまく機能していないのはメディアが本来果たすべき役割を果たしていないからだと指摘します。メディアが民主主義の生命線だと語る岩田氏に、こうした現状をどう乗り越えるべきかを寄稿してもらいました。 【写真】平成の「地方創生」と昭和の「地方の時代」 住民不在に慣れ切った私たち
民主主義にかかる本当の「コスト」とは?
民主主義にはコストがかかるとよく言われます。しかし、ほとんどが「選挙」にかかるおカネの話になりがちです。2013年の参院選では約635億円の予算が投開票やポスター掲示などにかかっています。とはいえ一人あたりでは約500円なので、そんな程度とも言える金額です。 本来考えるべき民主主義のコストは、おカネではなく「手間」です。手間とは、私たち一人ひとりが「情報収集」から「分析」を行い、「意思表示」を行うことです。 例えば社会保障をどうするか。現状に問題があることは明白ですが、新聞を見ても、テレビを見ても、パッと見では明確な回答は見当たりません。もちろん、新聞各紙を比較して、過去記事検索して、省庁の資料を集め、全局録画でテレビ番組を検証すればアウトラインが見えてくるかもしれませんが、こんなことは日常を生きる普通の生活者はしませんし、できません。 少し冷静に考えると、まじめに新聞を読んだり、テレビのニュース番組を見たりしても世の中は良くならないじゃないか、と考えることは合理的と言えなくもありません。このあたりは、米国の研究者も“合理的判断に基づく政治的無知”として指摘しています。 新聞を読み、ニュース番組を見て社会は良くなるのか? その問いに向き合おうとするメディアは見当たらないように見えます。 一方、デモクラシーは、私たちに自分の頭で合理的、理性的に考えることと、行動を前提とする仕組みです。自分の頭で合理的に考えるには、「情報収集」や「分析」が不可欠ですし、行動としての「意思表示」も必要です。この行動は、デモといったものだけではなく、ある政策についての見解を書き留めておくことや、それをSNSで公開することなども含まれます。