民主主義を機能させられないメディア 必要なのは“マスコミ”の新発明?
現代社会の「3要素」を理解するリテラシー
では、“王”に正しく情報が伝わるようにすればいいじゃないかと思う人もいるかもしれません。ただ、問題はもうちょっとややこしいのです。 共産主義国家や独裁国家などを除いて、現代社会は(1)法の支配(Rule of Law)、(2)民主制(Democracy)、(3)資本主義経済(Capitalist economy)の3つの要素できています。 先進国なのに公文書が官僚の裁量で廃棄される、「一億総中流」だったはずが相対的貧困率で先進30か国中4位と格差のある社会になっている、世界一カネのかからないオリンピックだったはずなのに約3兆円ともいわれる巨大予算になる――などのような社会の機能不全は、この法の支配(Rule of Law)、(2)民主制(Democracy)への理解に基づく改良、アップデートによってある程度は解消可能と言えます。 しかし(3)資本主義経済(Capitalist economy)は計画経済のように管理できるものではなく、往々にして人にあまり考えさせないで儲けることを優先します。賢い“王”よりも、情報弱者の“王”にお金を使わせようとします。現代の社会は“賢い王”が求められているのに、(2)と(3)で矛盾しているのです。たとえば、スマートフォンは、文明の利器として人の可能性を拡げる”賢い王”をサポートするツールになったかもしれませんが、現実は情報弱者と呼ばれる人々から広く売上を上げる集金ツールとして機能しています。 新聞の購読者減少が続き、テレビの総視聴率も低下していますが、新聞社やテレビ局を見ると、報道という本業に力を入れるよりも、企業体としては、不動産やゲームに投資して儲ける方が確実で、株主からは評価されると言わんばかりにも見えます。 この状態が続くと、私たちは社会を成り立たせている3要素をよく知らなくなっていきます。3要素は私たちの社会を動かすエンジンでもあるので、エンジンの仕組みが分からないドライバー(=王)の増加は、乗り物を改良する発想を持たない人の増加を意味し、文明の停滞をも意味し(映画「マッドマックス」の世界ですね)、長期的には資本主義経済を行き詰まらせます。文明の停滞は一種の破滅です。 その予防には、エンジンの分解、清掃、再組立ができる教養の一般化が必要です。2020年から小学校で導入が予定されている「プログラミング教育」は、この教養の習得と地続きだと位置づけることができます。 プログラミング教育と言っても、プログラマーを養成するわけでも、別にコードを打ち込む能力でもなく、社会のあらゆる仕組みをプログラミング的思考で、つまり論理的に捉え、考える視点を持つことが本質です。 現在30~40代である団塊ジュニア世代が日本社会でいまひとつ存在感が希薄なのは、この発想が希薄であるためではないかと私は考えています。大人こそ、技術進化によって近未来の変化の振り幅が大きく広がっている現代社会について、もう一度、学び直す必要があります。