政治勢力「オール沖縄」とは 経済界離脱、革新色強まる? 【図解】
沖縄県では長きにわたり米軍基地を容認するか否かを軸に保守・革新が対立してきた。その沖縄県内で保革対立を乗り越えた枠組みをうたい、普天間飛行場の名護市辺野古への基地移設反対を旗印に、各種選挙で圧倒的な存在感を発揮してきたのが政治勢力「オール沖縄」だ。革新系や一部の保守系らが結集してきたが、近年、その支持層の柱となってきた県内経済界の重要人物が相次いで「オール沖縄」からの離脱を表明するなど、距離を置く動きを見せている。何が起こっているのか。
いつごろ台頭したの?
「オール沖縄」というキーワードは、2012年の米軍の新型輸送機オスプレイの沖縄配備や、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設に反対する保革を超えた政治勢力を指して使われてきた。その流れをつくり出したのは、翁長雄志・前沖縄県知事(故人)だった。
翁長氏自身は保守系の二世政治家で、自民党の那覇市議、沖縄県議、那覇市長(2000~14年。4期目途中で知事選に出馬し、知事に転身)を歴任した。日米安保体制を支持する立場を取り、県議時代には普天間飛行場の辺野古移設推進を主張。当時の大田昌秀知事(故人)と激しく対立した。若くして自民党沖縄県連幹事長も務めるなど頭角を現し、県内保守政界の“エース”と目された。 大票田の那覇市での得票が結果を大きく左右する国政選挙や県知事選では、自民党から出馬する候補の選挙対策本部長を必ずと言っていいほど務めるなど、“キングメーカー”としても力を発揮した。 その翁長氏が、県内世論に耳を傾けずオスプレイ配備が強行されたことなどをきっかけに「イデオロギーよりアイデンティティ」を訴え始めたのだ。 この動きに県内の革新勢力のみならず、那覇市長時代から翁長氏を支えた一部保守系や経済界の重鎮らが呼応。14年の知事選では、前回知事選で自らが選対本部長を務め、再選した仲井眞弘多知事の対抗馬として出馬し圧勝した。その後、翁長氏を支えた勢力が「オール沖縄」として団結し、知事選挙や国政選挙で「辺野古移設反対」を訴える候補を擁立し、多くの選挙で圧勝し、現在にいたる。