【Q&A】「SACO」って何? 普天間“返還合意”から25年
日米両政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市、約480ヘクタール)の返還を合意してから今年で25年です。この取り決めは日米間の官僚らでつくる「SACO(サコ)」という協議の場で話し合われ、最終的に沖縄県内の他の米軍施設も併せて返還が合意されたことから、「SACO合意」とも呼ばれます。何が合意され、25年が経過してどの程度が成し遂げられたのでしょうか。改めて「SACO」について振り返ってみましょう。
Q:SACOとは?
「Special Action Committee On Okinawa」の頭文字を並べた略語で、日本語では「沖縄に関する特別行動委員会」と呼ばれています。沖縄における米軍基地の過重負担解消を話し合うため、日米両政府が1995年12月に設置しました。
Q:設置に至った経緯は?
95年9月に沖縄本島で起きた米兵少女暴行事件がきっかけです。米海兵隊員ら3人が女子小学生を暴行した事件は沖縄内外に大きな衝撃を与えました。同年10月に開かれた県民大会には、事件に抗議しようと8万5000人(主催者発表)が集まりました。 沖縄県内にある米軍基地の整理縮小などを求める世論が沸騰し、対応を迫られた日米両政府がSACOを設置するに至りました。
Q:SACOでは何が決まったの?
沖縄の基地負担軽減をテーマに96年4月15日に中間報告が、同年12月2日に最終報告が合意されました。普天間飛行場を含む沖縄県内11の米軍施設の返還(計約5000ヘクタール)、米軍機の騒音軽減措置、日米地位協定の運用改善を進めることを決めています。 この過程の中で96年4月12日、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米国大使が共同会見し、普天間飛行場を「5年ないし7年以内」に全面返還すると表明しました。全面返還のために沖縄県内の別の場所への移設が条件とされ、後に名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸部に決定されます。日本政府と地元調整はまとまらず、四半世紀経ったいまも返還は実現していません。