ドイツの工業力が生んだ「狂気」の自動車デザイン ゲルマン魂が光る奇妙なクルマ 30選 後編
ポルシェC88(1994年)
ポルシェが911(993型)ターボSのような高性能スポーツカーを作っていた頃、中国市場への参入も目指していた。これは、中国政府による新型プロトタイプの募集に応えたものだった。中国からエンジニアとデザイナーを集め、手頃な価格で、シンプルで、広くて快適なクルマを作るというコンセプトだった。 ポルシェとして販売するつもりはなかったため、C88にポルシェの紋章はない。中国政府はクライスラー、フィアット、三菱、オペル、フォード、メルセデス・ベンツにも参加を呼びかけたが、勝者は決まらなかった。おそらく、政府はデザイン案を無償で受け取り、他の中国車に応用したのだろう。
BMW Z18(1995年)
BMW初のSUVは何かと尋ねると、多くの人がX5と答えるだろうが、実はZ18だった。1980年代に研究開発部門によって設計され、初代Z3の発売と同時期に作られた。 ルーフは装備されなかったが、防水機能付きのシートと分厚いゴム製フロアマットを装着し、モジュール式の内装によってピックアップトラックにも4人乗りにも変身した。大量生産する意図はなかったが、BMWが新たな分野への需要を測るのに役立った。
アウディA2(2000年)
アルミ製ボディと驚異的な低燃費という点で、A2は時代を先取りしていたといえる。2001年にデザイン賞を受賞した後、アウディはA2について「1つのガソリンタンクで4人をシュトゥットガルトからミラノまで運ぶ」ことを目指したとコメントしている。 デザインを担当したのは、ランボルギーニ・ムルシエラゴも手掛けたルク・ドンカーヴォルケである。両者とも、狂気的な要素がある。A2の「食パン」のようなデザインは賛否両論を巻き起こし、それ以来アウディはこのようなクルマを生み出していない。
アウディ・ローゼマイヤー(2000年)
アウディのスーパーカーの歴史は1974年の100Sクーペ・スペチアーレから始まった。その後、ピエトロ・フルアやピニンファリーナといった企業が奇抜なデザインを手がけた。2000年には、1930年代のアウトウニオンの「シルバーアロー」に敬意を表したロゼマイヤー・コンセプトが登場。アヴス・コンセプトと並ぶブガッティのルーツである。 このデザインを担当したのは、1984年にインターンとしてアウディに入社したステファン・シーラフだ。彼はすぐに出世し、インテリアデザイン部門のトップとなった。最も有名なインテリアデザインはアウディA7に採用されている。