ドイツの工業力が生んだ「狂気」の自動車デザイン ゲルマン魂が光る奇妙なクルマ 30選 後編
BMW M3ユート(1986年)
(この記事は後編です。前編と合わせてお楽しみください) E30型M3は多くの人に愛されているクルマだが、BMWのM部門は1986年に密かにピックアップトラックモデルを製作していた。工場内における高性能の部品運搬車になると考えたのだ。3シリーズのコンバーチブルをベースに、ボディをカットし、M3から最高出力195psの4気筒ガソリンエンジン「S14」が心臓として与えられた。 【写真】ドアが消える!? BMWの「まさか」すぎるオープンカー【BMW Z1の内外装をチェック】 (16枚) M部門は同車を2012年まで26年間使用した。量産化されることはなかったが、BMWのユート(ピックアップトラック)ブームの火付け役となり、E39型M5やE92型M3が熱狂的なファンの手によりユート化した。
イズデラ・スパイダー036i(1987年)
036iはコンセプトカーのように見えるかもしれないが、実際には14台生産された。デザイナーのエーベルハルト・シュルツはもともと、1969年にスポーツカーのエラトGTEを設計していた。それがポルシェの目にとまり、同社の下で新たなコンセプトカー開発に取り組むことになった。メルセデス・ベンツ300SLを模倣したCW311である。 やがてチューナーのライナー・ブッフマンと出会い、共同でB&B GmbH & Co Auto KGを設立。CW311のデザイン案はメルセデス・ベンツに見せられたが、量産化は断念される。その後、シュルツはB&Bを離れ、新会社イズデラ(Isdera)にデザインを持ち込んだ。036iはCW311のプラットフォームをベースに、オープントップモデルとして開発された。
BMW Z1(1989年)
当時も今も、奇妙なデザインである。なぜZ1が「消えるドア」を採用したか理解している人はほとんどいない。さらに、プラスチック製のボディパネルは工具を使って1時間以内に交換可能で、カラーリングをいつでも変えることができる。Z1のリードデザイナーを務めたハーム・ラガイは、主にポルシェのカレラGTのデザインチームを率いたことでも知られているが、1960年代後半にはシムカでも働いていた。 Z1はもともと新しいアイデアを模索するために構想され、大量生産を意図したものではなく、わずか2年間のみ生産された。その低く構えたデザインは、やがてZ3に受け継がれることになる。